日本のリーダーには言葉に力がある人が少ない

【上田】そうですね。東工大のリベラルアーツ教育が「自由にする技」を強調するのは、まさに日本社会の同調圧力が我々から自由を奪っているという、強い認識がありますよね。空気を読んでそれに従うだけでは「志」なんかいらないわけです。むしろ「志」なんか邪魔ですよね。そして自分の言葉を持つこともまったく要らなくなってしまいます。

【池上】日本のリーダーには、言葉に力がある人が少ないと思いませんか。菅義偉総理の会見を見ても、言葉で人を説得しようとか寄り添おうとか、そういうことが感じられません。官僚が書いた原稿を棒読みするだけです。菅総理だけではありません。日本の政治家のなかに、言葉に魂を込めて人を奮い立たせて、いろいろな困難を乗り越えていこうといった熱量をもった人は本当に見当たらない。なんとなく空気を読んで、うんの呼吸で渡ってきた人が多いからです。

失言を生み出す、“わきまえて”黙っている空気

池上彰・上田紀行・伊藤亜紗『とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡』(中公新書ラクレ)

【池上】政治家の失言を見ていると、周囲の人が何も言わず皆“わきまえて”黙っている空気の中から半ば自然と失言が生まれてくるものだとわかります。日本ではこれまで、リーダーがみずからの言葉の力を磨くことがおこなわれてこなかった、そういう場もなかったのだと私は考えています。

これからのリーダーはそれでは務まりません。海外のリーダーと対話もできない。西欧のリーダーが言葉を武器にする背景には、ギリシャ・ローマ時代からのリベラルアーツの伝統があり、多様な人種、多様なバックグラウンドや主義主張を持つ人々を説得し動かすには言葉を駆使するしかないという歴史の積み重ねがあります。日本では、これまでは多くを語らずとも伝わるという暗黙の了解が成立していたかもしれませんが、時代は変わり、そんな了解は通用しなくなりました。インターネットとグローバリズムによって社会が分極化し、負の側面をさらけ出していますが、社会がバラバラになり、人々の興味関心もどんどん多様になるほど、言葉の運用力が求められるのです。

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