1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件。児童らを襲った加害者は当時中学2年生で「少年A」と呼ばれた。文化人類学者の上田紀行氏は、「神戸の事件から4半世紀が経とうとしていますが、あの事件が起きたニュータウンの風景、ノイズのない空間はそれからの時代でますます拡大していった。ノイズのない社会になった原点は金儲けの自由化だが、競争から落ちこぼれた人のセーフティネットになるのが宗教だ」という――。

※本稿は、上田紀行『立て直す力』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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機能的な新興住宅地で“あの事件”は起こった

1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件。「酒鬼薔薇」を名乗る中学2年生が、小学生2人を殺し、3人に重軽傷を負わせました。彼が新聞社に送った犯行声明、「私は透明な存在である」が記憶に残っている人もいると思います。

当時、ぼくはこの事件がどんな街で起きたのだろうと、彼が住んでいたニュータウンに行きました。山を切り拓いてつくった街ということもあり、区画整理がきちんとされていて、同じような住宅が果てしなく並んでいました。住宅エリア、学校エリア、商業エリア、公園などと、機能的に街が区分されていました。

きわめて効率的なつくりで、目的がわからない無駄な空間は見当たりませんでした。

気になったのは、一般商店がほとんどなかったことです。その代わり大きなスーパーがあって、そこに行けば何でも買えるようになっていました。確かにスーパーは便利だけれども、日常の何気ない会話が果たして生まれてくるのだろうかと感じました。