今こそ「人間的な深み」が求められる

【上田】ほんとうにそのとおりですね。「戦争」や「敵」というメタファーは、「敵と私とはまったく別物」とか「敵のせいで私は不利益を受けている」という、分断線に基づく表現ですよね。ところが人類史を振り返ってみれば、私たち人類の遺伝子にはウイルス由来のものが多いわけです。そしてその遺伝子がなければ人類が人類となっていないものもたくさんあります。例えば、人の胎盤にある特殊な膜のおかげで母親と胎児の血液型が異なっていても母子は共存できるんですが、その膜の遺伝子がウイルス由来のものだと最近分かったんです。となると、ウイルスに感染していなければ哺乳類も人類も生まれていなかったということになります。われわれは実はウイルス由来なんですよ。ウイルスはわれわれの外に存在しているとともに、既に我々の中にある。我々自身の一部でもあるわけです。

もちろんコロナウイルスの感染の予防、治療対策は重要です。しかしそもそもウイルスとは何かという生物学的な素養や、私とは何か、どこまでが私なのか、私の中にある他者も私なのではないかといった哲学的な深みのある教養があれば、単純な戦争や敵のメタファーには陥っていかないのではないか。こういう時だからこそ、私たちには人間的な深みといったものが求められているように思います。

「同調圧力」を利用して自粛を呼びかける政治家たち

【伊藤】日本でも、「戦争」のメタファーは使われてはいませんでしたが、お互いを監視する雰囲気や、感染者を攻撃するような空気を強く感じました。感染した人から「感染した自分が悪い」とみずからを責める言葉が出てくるのを聞くたびに、それほど思いやりのない扱いを受けているのかと、気持ちが沈みました。

【池上】自粛警察が出てきて、戦時下の隣組や江戸時代の五人組のような互いの監視が行われました。国の方針に従わないと非国民とそしる、あるいは他県ナンバーの車が入ってくると石を投げたり傷をつけたり、太平洋戦争中の日本での「非国民」を思わせる行為もショックでしたね。

麻生太郎副総理は、日本は他国に比べて民度のレベルが違うのでロックダウンしなくても感染拡大を防げるのだと言いましたが、それは要するに自粛しない者は非国民だという社会の空気によって、皆が行動を規制し合うことで結果的に感染拡大がなんとか抑えられているということが背景にあります。日本の政治家たちは、そうした同調圧力を前提にして、むしろそれを利用して自粛を呼びかけている、そういう面が次第に顕わになっていきました。

一対多の構図
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