ジャーナリストの池上彰さんは2012年から東京工業大学で教壇に立っている。池上さんは学生たちに「あらゆることに対して鵜呑みにせず、健全な懐疑心をもってあたること」を伝え続けているという。その真意とは――。

※本稿は、池上彰・上田紀行・伊藤亜紗『とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

東京工業大学 大岡山キャンパス
写真=アフロ
2020年4月6日、東京工業大学 大岡山キャンパス

学生たちに「エビデンス」を問われ続ける

東工大で教えてみると、何かを議論するとき「曖昧な言葉遣いはせずに、定義をきちんと示す」ことが求められます。あるいは「エビデンスはどこにあるのか」と、学生たちからは常に問われます。そうした学生たちの反応は、私にとっては多くの学びにつながっていきました。「なるほど、そうくるか」という反応が講義中にも結構あって、刺激的で面白く、本当に収穫は多いと思います。

反面、エビデンスがないものに関して語れないというネガティブなところもあります。社会学の領域では、たとえば世の中のトレンドを見るには、エビデンスはまだ集まっていないけれども「今、世の中はこう動いているのではないか」と仮説を立てて、そこからエビデンスを探しに行くことになります。「世の中、こうじゃないの?」と言ったりすると、「エビデンスがないですね」と返される。あるいは「きちっと定義してください。定義がないと議論できません」と言われます。そう言われると、たしかに感覚的な予測だったり表現だったりするので反論できず、「は、はい、すいません」と言うしかないときもあります。

「すべてを疑う」学問への態度を教えてくれた先生

思い返せば、私は大学生のときに、とてもいい先生に出会っています。いつの時代も、いい先生とそうでない先生はいるものです。私は慶應義塾大学経済学部で経済学を学んだのですが、そこで3人の先生から、本物の学びを得たように思います。

一人は社会思想史の白井厚先生でした。白井先生は毎回90分授業で、社会思想史を形成してきた過去のさまざまな学者について、一人ずつその思想や時代背景を解説し、その現代的意義を考えさせます。毎回ワクワクするような授業でした。

二人目は経済学の北原勇先生で、私はその先生の研究ゼミに所属しました。北原先生の口癖は「すべてを疑え」、学問のうえではすべてを疑ってかかれというのです。「権威ある学者の論文や著書であっても、それを安易に信じてはならない。そこに書かれていることが本当かどうか、まずは疑う態度が重要だ」と。実際のゼミでも、仲間の主張に遠慮なく反駁はんばくせよと言われ、「すべてを疑う」という学問への態度を徹底的にたたき込まれました。ゼミ仲間の報告に対し、私が厳しく問題点を指摘したところ、先生は大喜びでした。