「断食の時間は長いほうがいい」という考え方はない
2007年に、イスラム教徒のマレーシア人がロシアの宇宙船ソユーズで宇宙飛行をすることになった。
超高速で飛行する宇宙船のなかで、どのように礼拝を行うのか、それがそのとき問題になった。どのような形で、この問題に決着がつけられたかは、本書の6章で述べることにするが、たしかにそれは難問である。しかも、宇宙飛行をしているときは、ちょうど断食月にあたっていた。
礼拝について重要なのは時刻と方角である。断食の場合には、方角はかかわってこないが、時刻が重要な意味を持つ。
断食の時間は、日の出から日没と定められているので、日の出前なら食事をすることができる。そのため、断食月のイスラム教徒は朝、いつもより早く起きて、食事をする。そして、断食の終了時刻が来れば、おもむろに食事をはじめるのである。
そこには、断食を続ける時間はできるだけ長い方がいいという考え方はまるでない。むしろ、守られなければならないのは、神が定めた開始と終了の時刻である。同じ断食でも、日本人とはとらえ方がまるで違うのだ。
断食が終了した後には、豪華なご馳走が食べられる
もう一つ、イスラム教の断食について注目されるのは、イスラム教徒が断食月が来ることを楽しみにしているということである。
日中、食事もとらなければ、水も飲めないというのは随分と苦しいことだ。私たちは、そのように考える。
もちろん、イスラム教徒も、いくら日の出前に食いだめをしていても、日中はしだいに空腹になっていく。水を飲めないのもつらい。
けれども、断食が終了した後には楽しみが待っている。それは、「イフタール」と呼ばれ、普段よりも豪華なご馳走を食べられるのだ。空腹を我慢したのだから、沢山おいしいものを食べようというわけだ。
イスラム教徒のなかには、貧しい人たちもいる。経済的に恵まれていなければ、いくらイフタールでも、豪華な食事など用意できない。
そういうときに、五行のなかの一つ、喜捨が意味を持つ。経済的に恵まれている人間が、貧しい者に対して食事をふるまうのだ。
エジプトやパキスタンといった、イスラム教が熱心に信仰されている国では、街角にイフタールのための「神の食卓」が用意され、誰もがそこで食事をとることができる。