作業員の「笑顔」がある現場とない現場の決定的な違い

ある50代の独身男性が母親の介護が始まって孤立感を深めていった。以前は人付き合いが盛んだったのに、介護の苦労話を打ち明けられず、やがて母親が亡くなると自暴自棄になり、ゴミだらけの自宅に一人で過ごすようになった。

だが、自宅のゴミを片付けるために呼んだ業者に、介護の苦労話を話すことができた。その結果、男性は孤立から脱却し、ゴミを片付けることができたという。

作業員として働いていると、“家主の心”を感じる。物を買うことや置く事に少しでも明るい気持ちがあったと感じられると、どんなに汚れていても、その現場に関わることに明るい気持ちになれる。しかし、家主が自分を大切にしていない状態で物が乱雑になっていると、作業を進める上でこちらの気持ちも重くなっていく。同じゴミ屋敷でも、作業員の笑顔がみられる現場と、そうでない現場があるのだ。

依頼人が物をためようとする感情がどこからくるのか

私は取材者として、依頼人が物をためようとする感情がどこからくるのか、できるだけ見つめようとしてきた。

笹井恵里子『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中央公論新社)

認知症の人であれば「不安感」から物に囲まれていたいと思っているのかもしれない、物をためるウキウキ感からプラモデルを集めてしまうのかもしれない、あるいは自暴自棄になって生ゴミや自分の排泄物さえも処理できないのかもしれない――。

物との向き合い方は、おそらく自分との向き合い方で、その人がいる居場所は自分の心を映し出すものだ。何がほしくて何を捨てたくて、何をそばに置いておきたいか。それがわからなくなったのなら、“一緒に”やっていこう。いつの間にかそんな気持ちになっていた。

依頼人が住み、歪め、汚れた家が、人としての生活が送れる環境になった時、気づかぬうちにたまっていた私自身の心のゴミも一掃されたようだった。

関連記事
【この連載の前回】「風呂場での熱中症で孤独死」高級マンションの特殊清掃を手がけた作業員の思い
「お金が貯まらない人の玄関先でよく見かける」1億円貯まる人は絶対に置かない"あるもの"
会議で重箱の隅つつく「めんどくさい人」を一発で黙らせる天才的な質問
「激臭のゴミ山の上に布団」都内の高級住宅街に住む元教員の異様な暮らしぶり
年収1000万円超でもゴミ屋敷に住んでいた60歳男性は「死んでよかった」のか