受験の勝者は“中学受験をしてよかった”と思える人

勉強が好きで自分から目標に向かってがんばれる子もいれば、勉強に向いていないタイプの子もいる。引っ込み思案で自信のない子もいれば、勝気な子もいる。親のほうも、子供以上に熱心だったり、塾を子供の預け先として学童代わりに使ったりと、千差万別。

だからこそ、一人ひとり違った物語がある。さまざまな成長の物語が生まれる。「鉄(鉄道ファン)」の男の子は、ある中学の「鉄研」(部活の鉄道研究会)をめざして勉強を始めます。勝気な女の子と引っ込み思案の女の子は、お互い自分にない長所を認め合い、同じ学校を目指します。

親たちも、子供が行きたい学校こそが志望校であるという当たり前のことに気付いたり、子供の歩みを「待つ」ことの大切さを学んだりしながら、成長していきます。

こんな十人十色の親子を、彼らに寄り添って描いていけば、おのずと「偏差値の高いトップ校に合格することがすべてではなく、自分に合った学校に行くのが一番」という結論になるのはむしろ当然のことかもしれません。そう、漫画から引用するなら、「その学校に通って、勉強したり部活したりする姿が、なんかしっくりくる」ことが大事なのです。

ここが「東大合格」という1つのゴールを目指す『ドラゴン桜』とのいちばんの違いでしょう。

もちろん子供を中学受験させる親御さんのなかには、「将来は東大などのいい大学に行ってほしいから、中学受験をさせる」という方もけっこうな割合でいると思います。しかし中学受験では、子供はまだ12歳。そこで人生が決まるわけではないし、中学に入学してからが大事ということが描かれるのも共感できるポイントです。

写真=iStock.com/Daisy-Daisy
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もし仮に、東大進学者数ナンバーワンの開成中学だけを目指すストーリーだったら、人気を博すことはなかったでしょう。私もこの本を読んで、「受験の勝者っていうのは、結果がどうだろうと、“中学受験をしてよかった”と思える人のことだよな」と心の底から思うようになりました。

勉強もスポーツや習い事と同じ

そしてもうひとつ特徴的なのが、この漫画では勉強をスポーツや部活や習い事などと同じように「努力する対象」「夢中になる対象」としてとらえていることだと思います。

とかく中学受験というと、「遊びたい盛りの小学生に無理やり勉強を押し付けるなんて、子供がかわいそう」という見方をされる。しかしそれは一面的な見方にすぎないと、この作品を読むと気づかされます。

主人公の黒木が、塾でトップクラスの前田花恋かれんちゃんに、こんな言葉をかけるシーンがあります。

「なんで『勉強ができる』って特技は、『リレー選手になれた』とか『合唱コンクールでピアノ弾いた』とかと同じ感じで褒めてもらえないんだろうね? 『クラスで一番足が速い』子を『みんな』が褒めるテンションで、『クラスで一番頭がいい』子も褒めてくれればいいのに。」

公立の学校の授業では、誰も置き去りにならないようにすることが一番の目標です。だから、5分で問題が解けた子は、残り40分はただ静かに待っていないといけない。その点、塾は成績別にクラスが分かれているし、「この問題、おもしろい!」とわくわくしたり、「ひらめいた!」とぞくぞくしたりできる。そういう子にとっては、塾のほうが自分らしくのびのびできるのです。

そして、それはいわゆる「できる子」に限ったことではありません。わからないことがわかるとか、できなかったことができるようになるというのは、知的な興奮があって、本来、とても楽しいことなのです。