「可能性」をみずから限定してはいけない
私が学生だった時代の日本の大学進学率は、10%程度だった。
つまり、大学に行けない人のほうがはるかに多かった。だから、きわめて高い能力をもちながら、家庭の経済的な事情のために大学に行けなかった人が、いくらもいた。そうした人たちの無念さを、私はよく知っている。
その後、日本の大学進学率は上昇した。
しかし、いまでも、大学で学ぶための経済的負担は重い。奨学金や教育ローンが充実したとはいえ、親の収入だけでまかなうには限度がある。実際、上昇はしたものの、日本の大学進学率は50%程度だ。
一方、大学を出ないとつけない職業がある。明示的にそう決められていなくとも、事実上そうである場合が少なくない。だから、大学に行けなかった無念さをかみしめている人は、いまの日本にも大勢いる。
しかし、それにめげて、みずからの可能性を限定してはいけないと、声を大にして主張したい。独学によって、学歴制約を突破することが可能だからだ。
大学卒業が受験資格になっている資格試験は多い。そして、日本には、高卒認定試験はあるが、大卒認定試験はない。これは誠に残念なことだ。
しかし、弁理士、行政書士、司法書士、公認会計士、通訳案内士、不動産鑑定士、気象予報士など、受験資格に学歴制限がない試験もある。IT関係でも、学歴制限がない資格試験がいくつもある。
こうした試験に挑戦して高得点を取ることができれば、それによって新しい人生が開けるだろう。
独学者は自由な立場で新しい発想ができる
18世紀から19世紀のアメリカには、独学によって人生を切り開いた人が多い。
まずは、ベンジャミン・フランクリン。彼は、独立宣言に署名した5人の政治家のうちの1人だ。学校の成績は優秀だったが、学費の負担が重いので10歳で退学し、印刷業者の徒弟になった。仕事場にある本や新聞などの印刷物を、仕事の合間に読みあさった。
第16代大統領のエイブラハム・リンカーンの場合、正式な教育は、巡回教師からの18カ月間の授業だけで、あとはまったくの独学だった。借りることのできたすべての本を読んだ。「私は誰にもつかずに学んだ」と語っていた。
世界最大の製鉄会社・カーネギー鉄鋼会社を創業したアンドリュー・カーネギーは、少年時代、本を買うことができなかった。近くに住んでいた篤志家が、働く少年たちのために開放してくれた個人蔵書で勉強した。
発明王トーマス・エジソンは、小学校に入学したが、3カ月で中退してしまったため、正規の教育を受けられず、図書館などで独学した。「自動車の父」ヘンリー・フォードは、高校を中退。自分で勉強した。
この時代においても、高学歴の人々が勢力を持っていた。独学の人々は、こうした環境にめげなかった。彼らは権威ではなく、自分の力を信じた。
そして、独学者だからこそ、自由な立場で新しい発想ができた。それが、彼らの成功の源泉だ。