共同体の論理が支配する社会の末路
なお、すでに述べたとおり国や地方自治体なども広い意味では共同体型組織である。したがって、そこでもしばしば成果より負担や犠牲が重視される。
いわゆる公務員バッシングはその典型である。たとえば役所の職員が定時に退庁し、休暇をめいっぱい取得したり、良好な環境で快適に働いていたりすると住民からクレームがくることがあるという。そのため非効率だとわかっていても夏場に冷房をつけず、薄暗い中で残業をするような光景がみられる。
総理が自粛期間中に会食をしただけで責任を追及されるし、逆に「汗をかく」とか、「自ら身を切る」といえば多くの国民・住民は納得する。総理といえども同じ共同体の一員であるかぎり、一般国民と同じように共同体の規範、共同体の論理に従うことを最優先させられる。何を成し遂げたかは二の次なのだ。
また、かつてオリンピック出場選手が出発に際し、「楽しんできます」と挨拶しバッシングされたことがあったのを覚えている人もいるだろう。国から支援を受け、国の代表として参加する以上は「楽しむ」なんてもってのほかで、精一杯がんばる姿を示さなければならない。
五輪生活をエンジョイする姿をさらしながら金メダルを獲っても世間の批判は避けられないが、死力を尽くして敗退したらその姿は賞賛される。そういう光景を私たちはどれだけ目にしてきたことか。
共同体の論理が支配し続ける以上、組織や社会の改革は必ずといってよいほど暗礁に乗り上げることを覚悟しなければならない。