また有給休暇もヨーロッパではほぼ100%取得されているが、日本では長年50%程度で推移している。有給休暇を残す理由について尋ねた調査では、「休むと職場の他の人に迷惑をかけるから」(60.2%)、「職場の周囲の人が取らないので年休が取りにくいから」(42.2%)、「上司がいい顔をしないから」(33.3%)という回答が上位に入っている。(注6)

(注6)労働政策研究・研修機構「年次有給休暇の取得に関する調査」2010年(複数回答)

そして仕事の成果よりも出勤していること、会社にいることに重きを置く風土はコロナ禍でまた厄介な問題を露見させた。

多くの経営者が言うには、営業などテレワークができる部署に対する、製造などテレワークができない部署からのやっかみ、不公平感がとても強いそうだ。ある会社ではやむなく営業のスタッフ全員を雇用から業務委託に切り替えたという。

ビジネス男性女性仕事のグループ
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効率性よりも「誰も損しない」が優先される

この問題の根はとても深い。なぜなら、効率性の論理と共同体の論理が正面からぶつかっているからである。

単純な経済学の論理からいえば、報酬は貢献への、あるいは提供した労働力への対価である。しかし共同体の論理に照らせば、共同体の一員としてどれだけ苦労したか、犠牲を払ったかに応じて報われるべきだという理屈になる。

閉鎖的な共同体の中は、だれかが得をするとだれかが損をする「ゼロサム」構造になっている。したがって公平を期すためには、大きな負担をした人ほど報われなければならないのである。

たとえば同じ仕事でも定時にやり終えて帰る人より、時間をかけて残業した人のほうが多くの収入を得るのは不合理なようだが、それだけ自由時間を犠牲にしたと思えば周囲は納得する。

しかも実際に後者のほうを評価する管理職は少なくない。また業務上の必要があるか否かにかかわらず一律に転勤させるのも、転勤や長時間残業を受け入れてきた総合職を一般職より高い地位まで昇進させるのも、建前はともかく本音としては負担の不公平を感じさせないためという理由が背景にある。

要するに日本の職場では効率性の論理と共同体の論理が渾然一体となっており、それが問題を複雑にする。一貫した論理の欠如がしばしばご都合主義や、恣意的な人事を招くことになる。そしてテレワークの普及や雇用形態の見直しなど、働き方改革も中途半端なものにとどめてしまう。