父への手紙

半年ほど経ったころ、朝奈さんは嶢至さんに、「入社させてほしい」という思いをしたためた手紙を書いた。

「私は小学校の卒業アルバムに『将来は魚屋の父の跡を継ぎたい』と書いていたんです。そうした私の思いも書きました。父がどういう気持ちで寿商店を立ち上げ、大きくしてきたか、その思いは計り知れないけど、私にもできることは必ずあるはず。父の代わりになるのではなく、寿商店を父と一緒に盛り上げたい、という思いを手紙にしました」

嶢至さんから返事はなかったが、その後すぐ、朝奈さんは、社員として入社することになった。

手紙を受け取った嶢至さんが、どう受け止めたのか。長い間わからないままだったが、5年ほど前、テレビの取材で、嶢至さんが、財布の中から大事にしまっていた朝奈さんの手紙を取り出していたのを目にした。

「『まだ持っていてくれていたんだ』と、うれしくて泣いちゃいましたね」

自分で学ぶしかない

寿商店の一員にはなったが、嶢至さんは仕事を手取り足取り教えてくれるタイプではなかった。

2020年、コロナ禍前。市場で仕入れ中の朝奈さん(右)と父・嶢至さん(左)。(写真=森朝奈さん提供)

魚の仕入れに同行し「どうしてこの魚を選んだの?」と尋ねても「言葉で説明できるものではない」と何も教えてくれない。朝奈さんは、毎朝仕入れた魚をスマートフォンで撮影し、自分で学んでいった。

「そうすると、良い魚の選び方や、適正価格も少しずつわかるようになってきたんです。『今日はマグロが安いよね』とジャブを打ってみると、『おお、わかってるなあ』と、ちょっと認めてくれたりして。今でも、仕入れは絶対に譲ってくれなくて、必ず一緒に行くんですが、『今日の白身(の魚)は買っておいてくれ』と、やっと少し任されるようになったのは去年くらいですかね(苦笑)」

魚のおろし方も、ほかの新人には丁寧に教えるのに、朝奈さんには全く教えてくれない。そこで彼女は、自分で魚を買ってきて、家でネットでやり方を調べ、さばく練習を繰り返した。

ある時、たまたま嶢至さんの前で魚をさばく機会があり、やって見せたところ「意外とデキるな」とほめられた。

「それからは、『この魚の頭を取っておいてくれ』など、任されるようになりました」

写真=森朝奈さん提供
朝奈さん(左)と父・嶢至さん(右)=2012年ごろ撮影