寿司職人になりたければ独学でOK

勉強やビジネスでは、結果は顕著に表れる。脇目も振らずに、やるべき暗記問題やトレーニングに、どれだけ没頭できるか。成績はあからさまに、没頭と比例する。

堀江貴文『やりきる力』(学研プラス)

あいつは付き合い悪いねとか、変わり者だねと揶揄されるぐらいに、徹底的に没頭することが重要だ。周囲との関係を断ち、雑音をスルーできる「狂気に満ちた集中」を発揮することによって、その人は頭ひとつ抜きんでることができるのだ。

誤解されてはいけないが、時間さえかければいい、というわけではない。「狂気に満ちた集中」を、いかに効率化させるかが肝要だ。

僕はいろんなところで「修業は無駄」「寿司職人になりたければ独学でOK」と言っている。動画での学習やオンラインサロンのコミュニティを活用するなど、ITを使って工夫できれば、長い時間をかけて習得するのと同じ技量を、短時間でマスターできるはずだ。

飛び込むのに準備は要らない

昔は一流の寿司職人になるには、10年近い修業が必要だと言われた。けれどもそれは、本当なのだろうか? 動画を見て、寿司の握りを数カ月間にわたって独学した職人の寿司を食べたことがあるけれど、老舗店の職人の腕前と、それほどの差はなかった。

また、通信制サポート校「ゼロ高等学院」卒業生の谷垣くんは、高校時代に寿司を自分で1000貫握って実力をつけ、寿司店の長い修業を経ないまま、立派な職人として働いている。

誤解されたくないが、僕は時間をかけて実力をつける修業を、全否定しているわけではない。“修業”として、時間をかけてトレーニングして、確かな自信をつけて活躍できるタイプの人もいる。そういう人は、修業の時間を確保して技能を習得するのもいいと思う。

僕が言いたいのは、絶対に修業しなければ一人前になれない、という「修業原理主義」はおかしいんじゃない? ということだ。

寿司で言うなら、美味しい寿司をお客さんに出すことが第一の目的のはずだ。

そこへ到達するための手段として、「時間の消費量」が前提になっているのは、おかしいだろう。一人前になるために、年単位のタイムロスが条件化されていることには、僕は断固として異を唱えたい。

ここに挙げた“修業”のように、「起業をしたい、でも準備が整ってない!」という若者はたくさんいる。そんなときに、決まって僕は言う。「いますぐ、やりましょう!!」。

重視すべきは「狂気に満ちた集中」。つまり没頭力だけで、十分なのだ。

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