理不尽な仕打ち

カンポット・ペッパーは2010年、世界貿易機関(WTO)から、産地名を地域ブランドとして独占的に利用できる地理的表示(GI)の認定を受けた。かつて欧州を席巻した最高級の胡椒ブランドが、復活を遂げた瞬間だった。

その裏側で、倉田さんは呆然としていた。カンポット・ペッパーは、隣接するケップ州でも作られている。「カンポット州だけではない」というのが重要なポイントだ。

倉田さんは、クラタペッパーが拠点を置くコッコン州の胡椒も、認証を受けられると考えていた。ケップ州もコッコン州もカンポット州の隣りにあるし、なにより、倉田さんの尽力なくして復活はあり得なかったから。

ところが、カンポット・ペッパーの関係者は、WTOに申請する際、書類に一言加えていた。

「except Koh Kong Province(コッコン州を除く)」

この文言によって、コッコン州産の胡椒はガイドラインに従ったとしてもカンポット・ペッパーというブランドを使用できなくなった。もちろん、倉田さんはそのことを知らず、寝耳に水だった。なぜ、こんな仕打ちを受けるのか。前述のように、クラタペッパーは2003年頃から急速に市場を拡大し、欧州にも進出していた。その市場を奪うためと予想される。

もちろん、倉田さんは抗議したが、「コッコン州は遠いから」という説明しかされなかったという。当時は納得できず、憤りを覚えたが、現在はこの理不尽な事件も受け入れている。

「それまで私が輸出していたフランスの取引先は、ぜんぶ彼らにとって代わられました。でも、カンボジア全体としてみれば胡椒の生産量が増えたし、悪いことではありません。みんなで競争しないと産業にはなりませんから。それに、胡椒のクオリティでは負けません。例えば、手摘みの完熟胡椒を扱っているのはクラタペッパーだけです。だから、GIではなく、胡椒自体のクオリティでうちの商品を選んでくれる方も多いです」

四半世紀に及ぶ奮闘

この言葉は、胡椒への自信の表れでもある。由紀さんとの間にふたりの子どもが生まれ、子育てのために由紀さんは2012年に帰国した。

日本で営業と販売を担うようになった由紀さんは、持ち前のバイタリティで次々と販路を開拓。2013年にオンラインショップを始めて個人でも買えるようにした結果、売り上げの割合は現地で販売するお土産の胡椒と日本で五分五分になった。今では、ミシュラン掲載のフレンチレストランなどでもクラタペッパーが使用されている。

写真提供=クラタペッパー
クラタペッパーでは、完熟した赤い実だけをスタッフが選別して「完熟胡椒」として販売している。

1997年に1ヘクタールから始めた自社農園は、4ヘクタールに。近隣の農家も胡椒の栽培を始め、自社分と合わせて年間6トン仕入れられるようになった。売り上げが伸びるとともに社員も増え、多い時には26名の社員を抱えた。

農業の「の」の字も知らなかった男の四半世紀に及ぶ奮闘が、ようやく報われた……と思った時に、新型コロナウイルスのパンデミックが起きた。カンボジアの観光客が絶え、日本の飲食店は営業自粛、時短要請。これは、クラタペッパーにとっても大打撃だった。