カンボジアで見つけた生きる意味

しかし、カンボジアの荒波に揉まれてきた倉田さんは、タフなボクサー並みに打たれ強い。「今年は本気で厳しいですね」と言いながらも、苦笑を浮かべた。

「今までの道のりを振り返れば、たいしたことありません。何回も心が折れてるからね。ほんと、ぽきぽきと。それでも、なんだかんだで乗り越えてきてるし、笑い話みたいなもんだから」

倉田浩伸さん
筆者撮影
カンボジアでの稀有な人生を振り返る倉田さん。インタビューは5時間に及んだ。

振り返ってみれば、大学4年生の時にカンボジアに足を踏み入れてから、狙い通りにうまくいったことなど、なにもなかった。どんなに追い詰められても「産業を作り、所得を上げることが本当の復興だ」と信じて、現地に踏みとどまってきた。その目標は、まだ道半ばだ。

「人はなんのために生きるのか、という問いに対する答えは見えてきましたか?」と尋ねると、倉田さんは、遠いコッコン州の胡椒畑を思い浮かべるように、遠くを見ながらこう言った。

「そうですね。僕なりのやるべきことは見えました。クラタペッパーが僕ひとりで終わってしまっては意味がないから、次の世代を育成することがとても大事だと思います。世代を超えてつながって、はじめて産業になるから。次世代がちゃんと育って、その次の世代にも引き継げると思えたら、それで自分の使命は終わったと思えるかな。あと20~30年すれば結果が出てくるでしょう」

僕は思わず、あと20~30年!? と聞き直してしまった。初めてカンボジアに足を踏み入れた時から数えたら、もう29年経っているのだ。

カンボジアは今、国家戦略として胡椒の輸出に力を入れている。それはカンポットペッパーの存在も大きい。カンボジアで発行されている新聞『プノンペン・ポスト』によると、2020年には中国、アメリカ、フランスなど20カ国超に約70トンを輸出するまでに急成長しているのだ。

これも倉田さんなくしてあり得なかったことである。いずれ、その復興の歴史に倉田浩伸の名前が刻まれるだろう。

胡椒
筆者撮影
胡椒なのに甘味を持つ稀少な“赤いダイヤ”。
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