さらに、売り方も変えた。由紀さんのアイデアで、現地の人が買い物をする時に使っている、植物で編まれたかごに胡椒のパッケージを入れることにした。普通の編みかごでは大きいので、小さなサイズのものをわざわざオーダーした。

すると突然、お土産として胡椒が飛ぶように売れ始めた。これには倉田さんも仰天した。

「お店にこの編みかごがぶら下がっていると、カンボジアっぽくてかわいい!ってまったく反応が違う。当時はひとつ4ドルで売ってたんだけど、10個くださいとか。その編みかごのなかに、おまけみたいな感じで胡椒が入ってるんです」

カバン
筆者撮影
胡椒を販売するためにオーダーした編みかご。

由紀さんは、朗らかに笑う。

「最初の頃、なかなかいい編みかごができなくて、何度も作り直してもらったんです。倉田から『俺はカバンを売ってるんじゃない!』と言われたこともありました。でも、この編みかご、すごくかわいいですよね?」

胡椒の復興プロジェクトが始動

生まれ変わった「クラタペッパー」は、日本人だけでなく、外国人旅行者も惹きつけた。

農園
写真提供=クラタペッパー
お土産用の胡椒が売れるにつれて、農園の社員も少しずつ増えていった。

やがて、「おまけ」扱いだった胡椒にも注目が集まり始めた。たまたまカンボジアにスパイスを探しに来ていたドイツ国際協力公社(GIZ)の職員がクラタペッパーに目を留め、「いいプロジェクトだから、ヨーロッパの食品物産展にポスターを1年間掲示してあげよう」と言われた。

すると、欧州の展示会でそのポスターを見たBBC(イギリスの公共放送)から取材のオファー。超有名シェフ、ジェイミー・オリヴァーがクラタペッパーの胡椒農園を訪ねて料理をする番組が放送された。店の近所に住むデンマーク人は「この胡椒はおいしい!」と絶賛。「デンマークのスパイスメーカーを紹介してあげるよ」と言われ、実際に取引が始まった。フランスやドイツの物産展にも招聘された。

「妻のパッケージに変えてから、どんどんいいオファーが来るようになりました。いいモノさえ作っていたらいつか売れると思っていたけど、売り方ってやっぱり大事だなと痛感しましたね」

こうして上り調子になった時に、想定外のことが起きた。ある時、大勢のフランス人が倉田さんを訪ねてきて、「自分たちも胡椒を作りたい、方法を教えてほしい」と頼み込んできた。

1880年代から1940年までカンボジアを植民地化し、「カンポット・ペッパー」というブランド名で最高級の胡椒としてヨーロッパに広めたのがフランスである。倉田さんが大伯父からもらった資料にあったように「カンポット」はかつて最大の胡椒産地だった州で、「松坂牛」「夕張メロン」のように、地名がブランド名になっていた。

「カンボジアのためになるなら」と倉田さんが同意すると、フランス政府の組織、フランス開発庁も出てきて、大掛かりな胡椒復興プロジェクトがスタート。倉田さんはノウハウを惜しみなく提供し、有機・無農薬栽培などカンポット・ペッパー認定のガイドラインの作成にも携わった。

このガイドラインを遵守した農園だけが、カンポット・ペッパーのブランドを名乗ることが許される。それが付加価値となり、その他の胡椒よりも数倍の価格で販売できるようになるわけだ。