「夜間にひとりでトイレに行く」入所者の望み

たとえば、足が悪くて歩行が不自由な入所者がいる。ひとりで歩くのは危険だから、トイレに行くときは呼び出しブザーを押す約束だ。ところが夜間に、ひとりでトイレに向かってしまう。認知症の症状のようにも思える行為だが、磯野の視点は別にある。

「歩けないけど、自分で行きたい、人に頼りたくないんですよ。その気持ちを見抜いて、怪我のないように手助けしながら自力でトイレに行かせてあげる。そうすると喜んでくれるわけです。そうやって利用者の元気づけをできた職員にも、喜びがあるわけです」

相手の言葉にひたすら耳を傾けると、真実が見えてくる。それは相手が子供だろうと高齢者だろうと変わらない。そして、相手が心から望むことを支援し、その望みの成就を共有できた時、支援される側にもする側にも喜びがもたらされる。

磯野はアゼリー江戸川の利用者ばかりでなく、100人をこえる職員にとっても、いまだに「先生」なのである。

撮影=小野さやか
カナダ出身の職員グリズデイル・バリージョシュアさんと英語で会話。職員が一生懸命働いている姿を見る時がうれしいという

「人に負けると泣くほどの勝気なんです」

それにしても86歳という年齢で、毎朝5時に出勤してフルタイムで働き続けるバイタリティーは、いったいどこから来るのだろうか?

磯野は昨年もピアノの発表会に参加してショパンを披露しているばかりでなく、書道の腕前もプロ級で、昨年は浦安市の市美展に応募して最優秀の「市長賞」を獲得している。英語はさすがに単語を忘れることが多くなったが、NHKの基礎英語のCDを毎朝繰り返して聞いているという。

「実は私、おとなしそうに見えると思いますけど、とても勝ち気なんです。もうね、人に負けると泣くほどの勝気なんですよ」

磯野がちょっぴり不敵な表情を浮かべた。

勝ち気を象徴する子供時代のエピソードがあるという。小学校から4人の児童がリレーの選手に選ばれ夷隅郡の大会に参加することになったが、磯野は当初5番手だった。

「どうしても選手になりたくて、放課後に私だけ学校に残って、ハチマキをして走る練習をしたんです。そしたら最終的に選手になれたんです。夷隅郡の大会では20校の中で優勝しました。私は背が低かったけれど、ずっと大きな選手を抜いたんですよ」

撮影=小野さやか
昨年8月に行われたピアノの発表会の写真を見せてくれた