「映像として印象に残らなければいけない」

理想的な伏線とは、物語の中で自然と記憶に植え付けられ、印象には残るが、わざとらしくないものだ。美しい伏線を張るのは難しいが、綺麗に決まればこんなに恰好いいものはなく、間違いなくミステリにおける見せ場の一つである。

それが機能する第一の条件が、映像として印象に残らなければいけないことだ。

場面として思い浮かぶ、と言い換えてもいい。データ的なことをいくら書いても、つまらなければ読み飛ばされるし、重箱の隅をつつくような細かい話は、とても覚えていてもらえない。

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本棚の上から二段目に箱入りの分厚い本が差さっていて、それに大きな意味があるとする。中のページが切り抜かれ、麻薬が隠してあるとしよう。これを伏線として提示する場合、どうするか。部屋の主が本好きという設定にし、本棚に並んでいる書名を列記する、という方法がある。こんなふうだ。

──ミステリ好きらしく、アガサ・クリスティーの赤い背表紙がずらりと並んでいた。『オリエント急行の殺人』『三幕の殺人』『アクロイド殺し』『スリーピング・マーダー』『象は忘れない』『魔術の殺人』『メタマジック・ゲーム』『ポアロのクリスマス』『カーテン』etc.──。

これでは、「ああ、クリスティーの本があるのね」と、スルーされるのがオチだ。この中で、クリスティーの著作でないのは、『メタマジック・ゲーム』で、大判で物凄く分厚く、版によってはスリーブ箱に入っていたりするのだけれど、そんなことは知らなければ分からない。

エピソードのふりをして伝える

これをもって、読書傾向とは無関係の分厚い本があった、という伏線にするのはちょっと、いや、かなり厳しい。伏線だと主張するのは自由だが、そう認識してくれる読者は限りなく少なく、何より恰好悪い。

ほとんどの人は、作品名は単なる羅列だと思って読み飛ばすだろう。そもそも、『メタマジック・ゲーム』がどんな本か知らなければ伏線にならない。ならば、どうするか。エピソードとして、場面として、印象に残るようにするのである。