野菜担当のスーパー店員、客の動線を観察した

和歌山県に生まれ、地元の生石ボーイズ(中学)時代、チームメートが入学を希望する智辯和歌山の練習に参加した。その付き添いで自分も参加したら、春夏通算甲子園の歴代最多勝記録を持つ高嶋仁監督(当時)に見初められる。守備が抜群に上手かったそうだ。

高1の夏はいきなりベンチ入りし、チームは全国制覇する。高2、3時も主力選手として甲子園に連続出場を果たす。

順風満帆の野球人生だったのだが……。智辯和歌山から立命館大に進んだ後、社会人野球の名門チームに入社が決まりかけていたが、受け入れ側の都合で、話がなくなった。ここがひとつのターニングポイントになる。

結局、和歌山のスーパーチェーン「マツゲン」に入社し、地元クラブチーム箕島球友会でプレーを続ける。このスーパーでの経験が後の指導者人生の礎になる。

店舗では野菜担当。市場に行って買いつけたり、マイクを握ってお買い得品をアピールしたりした。陳列をする際、客の動線を研究し、どうやったら目に留めてもらえるかなども研究したという。周りを見て空気を察して状況を見極めるということにつながった。

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ローソン店長時代は勝手に休むバイトとの信頼関係構築

その後、同県海南市の実家に戻って、親が経営していたコンビニのローソンの店長を務めることになる。この転職も人の上に立つための素養を磨く助けになる。

店長として何より苦労したのが「アルバイトの管理」だ。突然、休むバイトの処遇をどうするか。頭ごなしに叱責しては関係が気まずくなる。気持ちよく働いてもらい信頼関係を構築するための努力を惜しまなかった。今どきの若者との距離感のとり方やコミュニケーション術を学んだのだ。

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店長を務めながら、中学生のコーチをしていると、智辯和歌山のコーチを頼まれる。母校の恩師、高嶋監督が「中学生を見てるなら、うちでやってみいひんか」と手を差し伸べる。

そこで3年間、のちにプロへ進む岡田俊哉(現中日)、西川遥輝(現日本ハム)らを育てた。コーチを終えてからコンビニに戻り、深夜業務もザラだったそうだ。

さらに3年後、家庭の事情もあり大分に転居。地元シニアのコーチをしていると、2011年、明豊で指導をしないかとの打診があり、部長を経て2012年秋、監督に就任した。

こうした野球だけではないキャリアは甲子園監督としては極めてユニークだが、店員や店長として磨いた人間観察力は高校生たちをマネジメントするのに大いに役立った。