「自己肯定感」の罠
——それで自己肯定感を高めるにはどうしたらいいのでしょうか?
ここ十年くらい、「自己肯定感」という言葉が使われることがとても増えました。本屋に行くと、そういう感じのタイトルの本があふれていますし、ネットでもこの言葉が使われることが多いですね。
ちょっと気にかかるのは、それらの自己肯定感をテーマにしている本が、文字通り「自己」を肯定することを強調していることです。
——それではダメなのですか?
ダメというわけではありませんが、すべての人間は、この世界と切り離せない関係のなかで生きています。そうである以上、自己を肯定するということは、自己と切り離せないこの世界をも同時に肯定するということになるはずです。
「この世界にはろくなものが存在しないし、ろくな出来事も起こらないし、周りも虫の好かない人ばかりだけども、自分のことだけはとても好きだ」というようなことはありえないと思うのです。
——でも、自己啓発本には、「この世界はあなたの足を引っ張る連中ばかりだから、人に嫌われることを恐れずに、自分の信じる道を突き進もう」と背中を押してくれる本もあります。
もちろん、そのような本に勇気をもらって、幸せに生きていけるならば、それでもいいのかもしれません。ですが、なんだか、そのようなやり方は、少し窮屈でかたくなな感じがしますね。
トマスの哲学の特徴は、単に「自己」を肯定するだけでなく、いっけん憎しみや悲しみに満ちているように見えるこの世界のなかにも、肯定できる要素が埋もれていることに眼を開かせてくれるところにあります。
人間の感情には「根源的な肯定性」がある
——自己肯定感を扱った本の中には、ネガティブなことを考えてしまう「心のクセ」を矯正しようとするものも多いです。そのためのワークシートが付いている本もあります。
ネガティブなことを考えない訓練をするのも、一つの方法かもしれません。しかし、心に自然に浮かんできてしまう感情を、意志の力によって遮断するということは本当に可能なのでしょうか。
もし可能だとしても、それは自らの自然な感情を否定することですから、結局それでは自己肯定感は得られないのではないかと思います。
——では、どうすればいいのですか。
心に自然に浮かんでくるネガティブな感情を否定せず、むしろそれをありのままに深く受け止めることが、最初の一歩として大事です。トマスの「感情論」によれば、すべての感情には人間をおのずと肯定的な方向へと向かわせる力が潜んでいるからです。
たとえば「喜び」を感じたときは、それを抑制せず、笑ったり、「喜び」を他者と共有したりなど自然な反応をすると、ますます喜びが増幅されます。