——広西は現在でもかなりの辺境です。中越戦争から間もない当時、フィールドワークは並ならぬ苦労があったのではありませんか?

安田峰俊『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)

【菊池】当時は外国人が立ち入れない「未開放地区」が大量にあり、大変でした。たとえば少数民族について知りたくてベトナムやラオスの国境地帯へ行こうとすると、広東省の広州に行って広州軍区の許可を得なくてはいけませんから、おいそれとは行けない。

現在であれば、フィールドワーカーが事前の許可なしに農村地帯にフラッと入り込んで情報を得るようなこともできるのですが、外国人の姿も珍しかった1980年代当時、それも難しい。調査対象者の身の安全にもかかわる問題になってしまいます。地味に長い時間をかけて、信頼関係を作っていくしかありませんでした。

——中国南部の場合、宗族(父系の血族関係が発達して形成された大規模な相互扶助組織)が発達しているので、宗族の歴史を記した「族譜」が残っていることがあります。こういった史料の発掘にあたられたわけですか。

【菊池】はい。広西の農村部における宗族組織は、広東あたりと比較するとずっと小規模なのですが、それでも存在していて、族譜をたくさん見せてもらいました。ただ、広東などの大宗族では、族譜は印刷されているのが普通なのですが、広西の奥地だと印刷して刊行するほどの資力がない場合が多く「手書き」なんです。世界にこれ一冊しかない族譜を、なんとか信頼関係を築いてコピーさせてもらいました。

写真提供=菊池秀明
古程村の黄姓の宗族の、手書きの族譜。

——不十分な史料から再現していく作業になりますね。地元の言い伝え(オーラル・ヒストリー)の収集もおこなわれたのでしょうか?

【菊池】現地の人では、ついオーラル・ヒストリーも聞きたくなるのですが、実は1950~60年代に調査記録が出版されていて、すでにエピソードがかなり収集されているんです。もっとも、この手の調査記録は中国国内で刊行されているので、現代の政治の影響を受けてしまい作り話も多い。

——「太平天国の乱は農民起義だった」「太平天国軍は正義の革命の軍隊だった」みたいな話に、無理やりにねじ曲げられてしまうわけですね。

【菊池】地主じゃなかった人間が「地主階級」だとされていたり、太平天国にたてついた人間が、「アヘンで不当に儲けた大悪人」ってことにされていたり。こうした「証言」に振り回されないためには、やはり過去の文献に当たることが大事です。歴史学者はあくまでも、文献にもとづいて研究をおこなうスタンスですね。

「きれいな中国語」は嫌がられる

——香港や広東省中西部、広西チワン族自治区の東部などは広東語文化圏で、北京や上海とは言葉も文化も違います。また、香港や広州に代表される広東語圏の人(台湾や福建省などの語圏や、潮州語圏の人も)は、北方の北京に対して、同じ中国であるはずなのに、恐れと軽蔑感が混じったような複雑な感情を抱きがちです。中国の南方人のこの手の肌感覚は、日本ではあまり理解されていないように感じます。

【菊池】そうですね。まず、南方の人から見た北京なまりの普通話(標準中国語)をはじめとした北京の文化は、お役人の文化なんです。北京の政府が作った簡体字もこれに含まれるでしょう。南方の人たちはこれらに対して、自分たちに何か命令して搾取してくる相手の文化だ、という潜在的な忌避感が根強く存在しています。