独裁体制の強い誘惑

——ただ、やがて天王洪秀全の権威を脅かした楊秀清が韋昌輝に暗殺され、さらに韋昌輝も洪秀全に粛清されて、これを見た石達開が天京を離れ……と、泥沼の権力闘争が発生します。結果、洪秀全の独裁体制が固まるいっぽうで、太平天国の革命運動は下り坂に転じました。

【菊池】バネを巻きすぎるとビーンと戻ってしまうように、中国では皇帝の個人独裁体制を克服しようと試みても、ふとした拍子に戻ってしまうわけです。これは中国共産党についても同じなのでしょう。毛沢東時代の反省から、個人崇拝や個人独裁を防ぐために集団指導体制を採用してきたはずが、結局、習近平時代になって個人に権力が集中する体制が復活してしまいました。

撮影=安田峰俊
近年の中国では習近平への個人崇拝が進む。2015年5月、延安の革命記念博物館にて安田撮影。

——中国の社会は「放」(分散化・奔放化)と「収」(集権化・独裁化)の繰り返し、とはよく言われる話です。近年でも胡錦濤時代までの、汚職や犯罪が蔓延しながらも活気があった「放」の社会が、習近平時代に一気に「収」に変わりました。洪秀全なり毛沢東なり習近平なり、パワーのある政治家が登場すると「収」が始まります。

【菊池】極端から極端に振れずに、ほどほどのところで分権的な社会を作って落ち着けばいいのにと思うのですが、中国の場合は容易にそうならない。強烈な競争社会であるためか、複数の権力者が権力を分散して共存する形よりも、総取りを目指す動きが出てしまいます。日本や欧州と異なり、過去の歴史上でながらく封建制を経験していないことも影響しているのかもしれません。

——封建という言葉は、世間一般では「封建的な父親」のように「旧時代的な」とほぼ同じ意味で使われています。とはいえ本来は、国王が臣従する諸侯に封土を与え、その土地の領有権と統治権を認める仕組みを意味する言葉ですね。

【菊池】封建制は、地方の領主(日本の江戸時代の場合は藩主)が自分の領地に対して強い責任を持つ体制です。当然、それぞれの領地の支配については、非常に大きな裁量権が認められていた。ただ、中国ではすくなくとも宋代以降の約1000年間、特に漢民族の間ではそうした統治が長期的に認められる例は稀でした。

撮影=菊池秀明
太平天国の揺籃の地、金田村にある太平天国記念小学校。1980年代に菊池先生が撮影したものだが、学校は現在でも同名のまま存在している。

——中国において地方に強い権限を委譲するケースというのは、制度的に設計された結果というよりも、太平天国の乱のあとに各地で軍閥化が進行したように、王朝が弱体化してからなし崩し的にそうなってしまう印象です。やはり、安定した体制にはほど遠いですね。

【菊池】中国の社会は、民間に非常に強いパワーがあります。言い換えれば、ものごとを民間に任せておくと、好き勝手なことをどんどんはじめてしまい、統制が取れなくなる。中国社会の一番の問題は、こうした民間の野放図なパワーに対して、権力側が常に恐れを抱いているため、無理やりに抑え込んで統制しようとする志向が生まれがちなことです。ひとつだけの「正しいモデル」を提示して、それを民の側に信じ込ませる形になりがち。これは現在の共産党体制まで続く特徴だと言えるでしょう。(後編に続く)

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