世界で流通するメープル・シロップの80%はカナダ産である。メープル・シロップはなぜカナダの名産品になったのか。駐カナダ日本国特命全権大使の山野内勘二さんは「起源を辿ると、先住民がカナダの厳しい気候を生き抜く中で、古くから楓の恵みと製法を知るに至ったことにある」という。山野内さんの著書『カナダ 資源・ハイテク・移民が拓く未来の「準超大国」』から、シルク・ドゥ・ソレイユについてのコラムとともに紹介しよう――。

※本稿は、山野内勘二『カナダ 資源・ハイテク・移民が拓く未来の「準超大国」』(中公新書)の一部を再編集したものです。

シルク・ドゥ・ソレイユ「コルテオ」のリハーサル中の出演者
写真提供=©Cover Images/Cover Images via ZUMA Press/共同通信イメージズ
2025年1月8日、イギリス、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール。シルク・ドゥ・ソレイユ「コルテオ」のリハーサル中の出演者

大道芸の概念を凌駕するパフォーミング・アーツの誕生

シルク・ドゥ・ソレイユ

何事につけ、偉業が始まる創世記は興味深い。

しばし、1979年に遡ろう。当時、ケベック州の若い大道芸人たちが集まり、ヒッチハイクで州内を巡り大道芸を披露していた。継続は力なりとは、良く言ったものだ。徐々に、その集団に有為な人材が参集し始める。

そして、82年になると、起業家ジル・サンクロワが、これはと信頼するダンサー、火吹き芸人、ジャグラー、竹馬乗り、そしてミュージシャンらを集め、「ベー・サン・ポールの竹馬乗り」と名乗り始める。才能と野心にあふれる若き大道芸人のグループの誕生だ。

そこに、鬼才ギー・ラリベルテが参加する。18歳にして故郷ケベック・シティーを出て大西洋を越えて、単独でヨーロッパ諸国を周って、アコーディオンを弾き、竹馬乗りや火喰いの大道芸をやっていた人物だ。

ギーとジルの出会いが、このグループを異次元へと昇華させる。従来の大道芸の概念を完全に凌駕するまったく新しいスタイルのパフォーミング・アーツが誕生したのだ。ヒッチハイクで州内を周り、極上の演技を披露。きわめて高い評価を得るものの商業的には厳しく、破綻寸前に追い込まれる。

1984年「シルク・ドゥ・ソレイユ」として活動開始

しかし、83年、カナダ芸術振興財団から支援を獲得。探検家ジャック・カルティエがケベック州周辺を「ヌーヴェル・フランス」と名付けた1534年の歴史的航海から450周年を祝する記念イベントへ招聘されたのだ。

そこで、ギーとジルの下に精鋭73名のスタッフとパフォーマーが結集。新しい演目を練り上げる。そして、84年、「シルク・ドゥ・ソレイユ(太陽のサーカス)」として活動を開始。

「『太陽』は、若さとエネルギーを象徴している。サーカスが必要としているのは、その二つだ」と、共同創設者ギー・ラリベルテは言う。

筆者の独断だが、太陽は、若き天才詩人アルチュール・ランボーを連想させる。植民地軍の傭兵の行軍であれ、聖地巡礼の旅であれ、砂漠をめぐるキャラバンであれ、太陽はランボーの周囲を廻り、光と影を交互にもたらす。そこには、常識を超えたサーカスの曲芸と情熱が宿る。