両親に似た人を見れば目が驚き、名前を聞けば心が驚く。他人の父母が亡くなれば弔い、顔には悲しみ悼む心が表われる。自分の死は自覚できないので、「死」とはすなわち親の死。それを少なくとも3年間は嚙みしめよという教えなのです。

中国の喪は3年でしたが、日本の養老律令(757年)では1年とされました。なんでも中国では「死者に対する礼が古くから極めて重要視され、葬送の方式が非常に丁重で複雑化していた」(『日本思想大系3 律令』岩波書店 1976年 以下同)らしく、日本では「唐令の規定をかなり簡素化」したそうなのです。

「定年」のルーツ

遅ればせながら、私ははたと気がつきました。『定年入門』の第1章に記したように、日本で最初に定年制を規定したのも、この養老律令でした。

およそ官人年七十以上にして、致仕ちじゆるす。

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70歳で辞職できるという規定。人生を年齢で区切るというのは、古来儒教の考えだったのです。『礼記』(前出)などを読んでも、「五十はきやうに養ひ、六十は國に養ひ、七十は學に養ふ」とか「六十の者は三とう、七十の者は四豆、八十の者は五豆(豆とは料理の品数)」(『礼記 下 新釈漢文大系29』明治書院 昭和54年)などと随所で年齢差別をしています。生命の連続性という観点からすると、こうした区切りは必須なのかもしれません。

ちなみに日本語では「年齢」といいますが、「年(歳)」と「齢」は意味が違います。

「年(歳)」とは「一毛作収穫の穀物」(白川静著『新訂 字訓』平凡社 2007年)のことで、年に1回という周期性を意味します。ところが「齢」のほうはもともと「齒(歯)」であり、「歯のように並んだもの」「同列に立つ」(『角川大字源』角川書店 1992年 以下同)ことを意味しています。

「齒」は「よはひ」と訓じますが、「よ」とは世のことで、世を「はふ」、つまり「這うように少しずつ進んでいくこと」(『古典基礎語辞典』角川学芸出版 2011年)だそうです。

イメージとしては、同級生が列をなしてずんずんと行進していく様子。それぞれの年の同級生が並んで前進していくのですから、これこそが「定年」のルーツではないでしょうか。

六十にして耳順ふ

儒教ではこの「齒」を重要視します。なぜなら「齒」を尊重することで、「老窮ろうきゅうわすれず、强は弱を犯さず、衆は寡をあらさず」(前出『礼記 中』)。老いて困窮する者を見捨てることもなく、強者が弱者をいじめることもなく、多数派が少数派を苦しめることもなくなるとのことです。