転職した「総監督」の仕事とは

転職先はフードプラスHDの中村さんと昵懇の安部さんが運営する長崎国際大学。最初は何かしらのお手伝いができれば良いと考えていたが、ちょうど野球部を創部するというので、その偶然に驚いた。「最高の転職先でした。仕事は運動部に関わるものであれば何でも良いと思っていたんですけれど、自分が子供の頃から続けてきた野球部が出来ることになったのはラッキーでした。リクルート活動がここまで上手くいくとは思わなかったなあ」と栗原さんは笑う。

キリンホールディングスを退職し、長崎国際大学野球部の総監督になった栗原邦夫さん(写真提供=文藝春秋)

野球部総監督の仕事はどうなのだろう。「あまりグラウンドには立たないんですよ」と栗原さんは言うが、代わりに地元企業や社会人野球チームなどを訪問することにかなりの時間を割いている。卒業する学生の就職先を確保するためだ。創部して間もない野球部の知名度はまだ低い。そこで訪問先では選手の将来性や、そもそも人間としての魅力を伝え、採用を働きかけているという。

こうした活動の対価として給料をもらうわけだが、「自分のやりたいことを実現するために大学に身を置かせてもらっているわけです。それでもらったお金で生計を立てることに少し抵抗感がある」と栗原さんは言う。だから給料は、野球部員の就職をお願いするための交通費や挨拶品、関係者と飲食を共にした時の支払いなどに充てていると言う。活動範囲が広がり、生活費が足りなくなる時もあるが、キリン時代の蓄えを取り崩すなどして充実した毎日を送る。

地方移住に失敗しないためには

ビジネスマンを卒業した人が次の人生に進む際、困ることの一つは自分の居場所が容易には見つけられないこと。地方での生活に憧れてIターンをしたは良いが、地域社会になかなか溶け込めないケースもよく聞く。

その点、栗原さんはフードプラスHDの中村さんという地元の名士の知己を得た。「中村さんが僕の後見人。佐世保で生活をしていくため地元に溶け込もうと自分でも努力をしていますが、後見人の存在はセーフティネットになっています。感謝しかありません」

「大学へ毎日行くわけではありません。今日は何もやることがないなんて日は、近くの日帰り温泉へ行ってのんびりしたりもします。気ままな生活をさせてもらって、こんなに幸せで良いのかなと思います」。ご本人はそう言って笑う。

自分が望んだ人生を実現した見事なライフシフトだが、それにしてもと思う。五十歳を前に掲げた人生の目標を達成するため、人がなかなか手に入れることができない地位と収入を捨てるのははばかられなかったのかと。