それでも日本での暮らしを望むのは「愛着」があるから

5つ目は、経済格差を是正する社会的セーフティネットを維持するためである。特定のアイデンティティ集団ごとに分断されている社会では、「互いのことを資源を奪いあうゼロサムの競争相手とみなす可能性が高い」。

そして最後が、自由民主主義そのものを可能にするためである。個別のアイデンティティや利害関係を超えて、集団的決定をしなければならないのが自由民主主義のサガ(運命)だが、そのためには、党派性をぐっとこらえて、まったく別の価値観への寛容さが求められるのだ。

加えて、ナショナル・アイデンティティが包摂する「愛着」という感覚は、現在の日本社会に置き換えても通用するのではないか。政府が憲法や法律解釈を融通無碍に変える。正義や公正という概念が失われ、権力者に有利なルールメーキングが常態化する。その「お手盛り」によって公僕に死者が出ても、これらを是正するシステムを我々日本人は持っていない。それでも、多くの人が日本での暮らしを望み、絶望の中にも希望を見出そうとするのは、何らかの形でこの国に愛着があるからである。

我々は知らぬ間に、自由のベースラインをどんどん後退させている

そしてその愛着はたぶん、「国家」といった堅苦しいものではなく、つらいときに語り合える仲間がいたり、守らなければならない家族や大切な人がいたり、ふと疲れた時に寄るビアバーがあったり、そんなささいなことから醸成されるものなのだと思う。

それで十分なのだ。それこそが、地域コミュニティや共同体、属性を超えた人的つながりや他者との共通体験なのだ。暮らしの中のささいな愛着にこそ、包摂的なナショナル・アイデンティティを再構築するきっかけがある。

日本が演じてきた民主主義や立憲主義がハリボテであったことは、平成30年間を通じてより明らかになり、もはや根本的なテコ入れをしない限り、それらの価値は維持していけないことは自明だ。

特定秘密保護法、安保法制(集団的自衛権の行使容認)、共謀罪、生前退位に関する皇室典範特例法、出入国管理法改正、閣議決定による東京高検検事長の勤務延長、そして新型コロナ特措法での緊急事態宣言にかかる国会の承認etc……その他権力の私物化事例は数えればキリがないが、与野党関係なく、これに対する本質的な危機感は日本社会からは感じられない。我々は知らぬ間に、自由のベースラインをどんどん後退させている。