拳を上げる抗議者
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倉持麟太郎著『リベラルの敵はリベラルにあり』を読む

倉持麟太郎さんの新著『リベラルの敵はリベラルにあり』(筑摩書房)を読んだ。安保法制に関して日弁連の指名を受け、論点整理に携わることになった倉持さんは、政策づくりに専門家として関与することへの期待に胸を膨らませていた。憲法解釈を変えたわけだから、筋論から言えば反対派の理屈には筋が通っているところがある。しかし、安保法制が成立し夢破れたとき、彼は二重に思い込みを裏切られたという。まず、権力はそんなにピュアではない、ということ。そしてリベラルがリベラルではなかった、ということ。リベラルがリベラルでないというのは、一体どういう意味だろうか。

本書は、リベラルが合理的な個人の存在を前提としたことを非現実的だとし、人間はそんなに強いものじゃない、と指摘する。問題は、理念と現実が異なるときにリベラルが現実のほうを軽視したことだろう。彼が指摘するように、多くの人がアイデンティティ・リベラリズム、つまり弱者の立場を標榜することによって求心力をつくり出す不毛な方向へと向かった。