※本稿は、倉持麟太郎『リベラルの敵はリベラルにあり』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。
安保法制可決、敗北でわかった「修正提案」の必要性
2015年9月19日に、いわゆる安保法制が参議院で可決された。法案審議のほぼ全過程にわたる4カ月間、私は、毎日朝から晩まで国会議論の分析にあたり、この法案の質疑にあたった野党議員たちと質問を作り続け、終盤には地方公聴会の参考人として自ら「違憲」の立場から陳述にも立った。忘れられない4カ月だっただけに、法案成立後は無力感に襲われた。
と同時に、後悔の念が払拭できなかった。それは、こちらが法案の欠陥を指摘・批判するだけに終始し、セカンドベストとしての修正提案ができなかったことだ。法案の欠陥をすべて改善し修正した条文を具体的に起案して、「政府の答弁を前提にするなら、本来こうした条文になるはずだ」と提示するべきだった。そのことによって、安保法制が抱えていた政策判断と政府答弁と条文の齟齬という大問題を可視化できたはずだし、法律家だからこそ可能な作業だった。
つまり、「条文上はできてしまうが、やりません。安心してください」といった類の答弁を連発していた政府に対して、「やるかやらないかがあなたの意思に左右されること自体が問題だ。誰が権力者であっても、できないことはできない法律にしてください」と迫るべきだったのだ。
不特定多数を「動員」するには、シビック・テックを使え
しかし、野党からそうした提案がされることはなかった。野党は、「対案シンドロームに陥るな」「相手の土俵に乗る必要はない」「問題点を追及すれば十分だ」という姿勢を貫いており、残念ながらその姿勢を変えることはなかった。その意味で、与党と野党とは、安全保障政策の方向性は違えども、「法の支配」の軽視、立法府としての役割不全という点では同じ穴のムジナだった。
いくら高度で正しい議論がなされていても、建設的な提案のないところに、人々は寄ってこない。裏を返せば、より魅力的な提案が出れば、人々は関心を持ち集まってくるのだ。具体的行動に結び付けることなしに政治は動かない。
組織に頼らずとも不特定多数を「動員」できるのがオンラインやソーシャルメディアの強みだとすれば、自らコンテンツを作っていくためのプラットフォームの構築に、デジタル動員の力を使わせてもらえばよい。
そのためには、シビック・テックの力が必要だ。シビック・テック(Civic Tech)とは、シビック(Civic:市民)とテック(Tech:テクノロジー)をつなげた造語である。市民自身が、テクノロジーを活用して、行政サービスを始めとした「公」の問題や、様々な社会課題を解決する取り組みのことを指す。