なぜ彼らは「セックスの人数=モテ」と勘違いしたのか

これもネットスラングのようなものかもしれませんが、「女嫌いの女体好き」という表現があります。女性蔑視意識が強い一方で、女性との性的関係には固執するような一部男性のメンタリティをあらわすものです。

2017年から18年にかけて、ナンパ術を指南するという触れ込みの「リアルナンパアカデミー」の関係者が、女性を泥酔させてレイプする性犯罪をくりかえしていた事件が発覚し、複数の「塾生」と「塾長」が実刑の有罪判決を受けました。

「塾長」を名乗る40代の被告人は、「ナンパ術」「モテ術」を指南するという名目で20代の「塾生」たちを従えていました。でも、現実に彼らがしていたことは、女性に罰ゲームの名目で強い酒を飲ませ、泥酔したところで集団強姦することでした。

彼らの中では「ナンパ術」「モテ指南」とは、女性と仲良くなって関係性を築くプロセスではなく、むしろ逆に、いかに女性の意思を無視して多数回セックスできるかを教えることでした。そこでは、相手の女性の意思や同意の有無はまったく無視されていたわけです。

「モテ」を多数の女性と肉体的関係をもつことと同一視していた塾長と塾生は、「ナンパ」を通じて女性とセックスした回数を競いあっていました。女性とコミュニケーションをとって関係性を築いた上でのセックスという発想はなく、泥酔させることによって意思を奪い、女性の肉体をモノのように扱い、その獲得数を男性どうしで得点のように競いあう。恋愛においていちばん重要な、コミュニケーションを通じて互いの信頼関係をつくるというプロセスはまったくなかったとみえます。どうして彼らはこれを「モテ」と混同してしまったのでしょうか。

対等な関係をないがしろにする「有害な男らしさ」

この事件を取材したライターの小川たまかさんは、彼らの動機がたんに性欲ではなく、塾長をカリスマとあがめる集団の中で「逆らうと村八分にされる」という不安から、疑問を感じても拒否できなかった塾生たちの姿を描き出しています(※1)。そして、塾長は「女好き」を自称しながら、女性に対する不信感や軽蔑をくりかえし口にしていたとも書いています。

女性を強引にセックスに持ち込んだ回数を比較して「お前、すごいな」と評価しあう。犯罪だと薄々わかっていながら、共犯関係を通じて集団から逃げ出せないようにする。ホモソーシャルな関係性の中で、優位に立つ手段として女性の体が扱われていたことに、ぞっとします。

この事件は相当特異なものかもしれませんが、「有害な男らしさ」が極端な形であらわれたものであるように感じます。「女性とセックスはしたいがコミュニケーションはとりたくない」というのは、女性を尊重する意識が完全に欠如しており、支配欲しか感じません。

『これからの男の子たちへ「男らしさ」から自由になるためのレッスン』より(イラスト=マシモユウ)

私は、この「コミュニケーションの省略」こそが、「有害な男らしさ」とリンクする大きな問題なのではないかと考えています。そうであるなら、逆に、いろいろな局面において相手との丁寧なコミュニケーションを意識させることは、男の子たちが「有害な男らしさ」の罠に落ちないためのトレーニングになるような気がします。

「モテ」ではなく、相手を尊重し、対等な関係に立ってコミュニケーションをとることこそ本質的に大事だということを、これからの男の子たちには意識的に理解してほしいと思います。