「やっていない」ときの不快感の強さが、依存になる最大の原因
前回取り上げた伊勢谷氏を含む、こうした著名人を「不道徳なダメ人間」「自制の利かない人間」「意志の弱い人間」と断罪するのは簡単だが、そうではなく、彼らの将来のためにも、あるいは読者自身がそれに陥らないためにも、彼らの不祥事や不貞を「他山の石」とすることが重要だと精神科医として思う。
現在の精神医学では、依存症は意志が弱いからなる病気ではなく、依存症という病気によって意志が破壊されると考えられている。
それは脳のハード面とソフト面の両方から説明される。
ハード面からいうと、脳の報酬系の異常興奮と神経伝達物質の制御不能が生じるとされる。
人間は、楽しいことをしたり、いいことをしてほめられたりすると脳の報酬系と呼ばれる部分からドーパミンという神経伝達物質が分泌され、高揚感をもたらす。これをもう一度得たいために、その娯楽をもう一度やりたくなるし、再びほめられるためにいいことをする(これは、いい循環の「学習のメカニズム」でもある)。
ところが依存性薬物では、ドーパミン濃度が高くなると脳に再吸収されるはずが阻害され、ドーパミン過剰状態をもたらす。要するに普段では得られない高揚感をもたらす。だからその薬物を得たいという欲求は通常よりずっと高くなる。この再吸収がさらに低下し、高揚感が異常なほど高まった状態が依存症とされる。
さらに依存症では、その依存薬物を摂取していないときに、脳を落ち着かせる作用があるGABA受容体の反応性が低下する。そのため、アルコールや薬物が切れると、イライラ感や不安感が生じる。
要するにやっているときの快感が非常に高まり、逆にやっていないときの不快感が非常に強いので、やめられない、止まらない状態になるのだ。
快楽を求めてというより、むしろやっていないときの不快感の強さが、依存薬物やアルコールに走る最大の原因だという依存症患者は非常に多い。
最近の研究では依存性の高い薬物やアルコールでなくても、ギャンブルやゲームのような行為に対する依存でも同様のことが脳で起こっていると考えられるようになった。
「やめたい」「やっちゃいけない」という意志があっても、やめられない脳
一方、ソフト面では、これまでの学習した“ソフト”が書き換えられる。人間の成長に伴う学習ソフトの中で重要なものに、ある種の我慢の能力を身に付けることがある。
今、我慢すると後でより大きな報酬が得られるということを覚えて、人間は勉強し、仕事をする。目の前の誘惑があっても、それに負けていては仕事にならないし、勉強もできない。幼児であれば、目の前の甘いものや遊びなどの誘惑にすぐに飛びつくだろうが、学校に通い、長い間の学習を経て、我慢したほうが得ということを学んでいく。
ところが依存症に陥ってしまうとその基本ソフトが破壊されてしまう。我慢ができなくなって、目の前の快楽に飛びついてしまうのだ。
ここでちょっと我慢したほうが不幸にならなくてすむことがわかっていてもやめることができないのは、このソフトの書き換えのためと考えられている。
このような脳のメカニズムの変化のため、「意志」が破壊され、「やめたい」「やっちゃいけない」という意志があっても、やめられないし、ある一定期間やめられてもまた手を出してしまうのだ。これは最悪の場合、社会的生命の破壊にもつながる。自滅行為だ。