平均寿命が急に延びた場合、経済全体は大きな衝撃を受ける

この仮説はシンプルで直観に沿っている。経済の「依存期」には、まだ学校に通っていたり、職に就いたばかりで賃金が低かったりする若者が属し、ニーズを満たすためにはどこかから、あるいは他の世代から、なんらかのかたちで「借り」なければならない。

その後、働き盛りの年代「成熟期」に移行すると、所得が支出を上回り、毎月の剰余金を貯蓄にまわせるようになる。その貯蓄があるおかげで、「リタイア期」に所得が急激に落ち込んでも、それまでのライフスタイルを維持していけるのだ。このように所得と支出の動きはあらかじめ予測が立つので、個人の富は、あるときは積みあげられ、あるときは削り取られ、ラクダのこぶのように波がある。

ここだけを取りあげれば、あたりまえに聞こえるかもしれないが、同じようにふるまう何百何千万という人たちをまとめて考えることで、モディリアーニのライフスタイル仮説では、より緻密な予測が可能だ。重要なポイントのひとつは、長いリタイア生活が見込まれる国では、晩年に備える国民の行動によって貯蓄率も富のストックも大きくなるので、そうした国のほうが裕福に見えるということだ。

逆に、悲観的な教訓としては、リタイア期が見込みよりも長くなった国では、豊かさのレベルがかなり低くなってしまう。長寿は一般に喜ばしいことだが、ライフサイクル仮説によると、平均寿命が急に延びた場合、個人も経済全体も大きな衝撃を受ける。

1940年代では「リタイア期」を迎えるまえに死亡していた

リチャード・デイヴィス『エクストリーム・エコノミー 大変革の時代に生きる経済、死ぬ経済』(ハーパーコリンズ・ジャパン)

日本では多くの人の「リタイア期」が、彼らの想像をはるかに超えて長くなっている。今日では多くの就業者が65歳でリタイアするが、1940年代に制定された国の年金ではリタイア年齢を55歳と想定していた。55歳という年齢は、当時の男性の平均寿命よりも高かったので、平均的な男性は「リタイア期」を迎えるまえに死亡していたことになる。1920年に生まれた人が1940年に働きはじめたとすると、1975年にリタイアしたあとで、のんびりと楽しむ期間は数年しか残っていなかった。

しかし、多くの日本人が90歳や100歳過ぎまで長生きするようになった現代では、「リタイア期」が35~45年以上も続く。こうした長寿集団のなかには、働いていた年数よりもリタイア後の年数のほうが長くなる人や、親世代が生きた年数よりも自分の「リタイア期」の年数のほうが長くなる人も出てくる。

日本の高齢者の多くは、いまほどの長生きを若いころには想定していなかったうえ、手本となる世代もいない。この事態に備えていた人が少ないのも無理はないのだ。

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