「自分の野球人生を全うして、野球界に貢献しろ」

翌年3月のヤクルトとのオープン戦のときだった。試合前に北京五輪で主将を務めた宮本慎也が話しかけてきた。彼は佐藤に「星野さんに手紙書いたんだって?」と尋ねた。佐藤が頷くと、宮本は言った。宮本は星野と会っていたのだ。

「星野さんからの伝言だけどな。あのことは気にしなくていいから、自分の野球人生を全うして、野球界に貢献しろと言っていたよ」

佐藤は胸が熱くなった。

この年、佐藤はプロ生活でキャリア・ハイの成績を残す。4月に長女が生まれ、家庭生活もさらに安定した。とくに9月は打率4割、9本塁打を記録して、2度目の月間MVPを獲得した。シーズンを終わってみれば、ほぼ全試合に出場して、25本塁打(リーグ5位)、自己最高の83打点(リーグ6位)、打率も2割9分1厘を残した。年俸も1億円を超えた。

星野の言った「野球人生を全うすること」を自分なりに体現したのだった。

星野の言葉を胸に、現役にこだわった

しかし翌22年、シーズン途中に左肩を故障し、さらに両肘も痛め戦列を離れた。翌年は二軍暮らしが続きシーズン後に戦力外通告を受けた。それでも佐藤は諦めなかった。24年はイタリアのチーム(8月に解雇)、さらに富山県のクラブチームでプレー、この年の11月に千葉ロッテマリーンズのテストを受け合格、入団する。そこまでして現役生活に固執したのも星野の言葉が彼の中で生き続けていたからだろう。

あるとき、試合前に佐藤が挨拶に行くと、星野は笑顔で冗談を飛ばした。

「元気か? 今日もフライ落としてくれよ。うち勝てるから」

佐藤は恐縮するばかりだった。

平成26年のオフ、彼は現役引退を決めた。すでに36歳になっていた。

苦しい時を支えてくれた妻に伝えた。

「これで引退するね。本当にありがとう」

妻の頬には涙が流れていた。