海外経験ゼロでハリウッド映画の撮影に

撮影=原 貴彦
イーオン社長の三宅義和氏

【三宅】そんな別所さんは英語が非常に御達者ですが、いわゆる帰国子女ではないですよね?

【別所】違います。20代前半で映画デビューとなったハリウッド映画の撮影でアメリカに渡ったのが、初めての海外です(笑)。

【三宅】そこがすごいと思うのですが、英語との出会いはいつ、どんな形でしたか?

【別所】英語を含め世界への入り口を開いてくれたのは、同居していた祖母です。僕の両親は共働きで、小学校から帰るといつも祖母がおやつを用意してくれていました。その祖母は世界地図を見るのが好きで、私がおやつを食べているときに「この国にはこういうものがあってね」といった話をたくさんしてくれました。

【三宅】ということは、お祖母様は海外によく行かれていたのですか。

【別所】いえ。祖母は長年、中学校で音楽の先生をしていたので、退職後にアジア諸国を旅行した程度です。両親も仕事が忙しかったので、もっぱら国内旅行でした。ただ、祖母の影響で、海外に対する思いは周囲の子供より強かったと思います。

英検1級のテープを呪文のように聞いた

【三宅】実際に英語の勉強をはじめられたのはいつ頃からですか?

【別所】真面目に勉強しだしたのは、中学に入ってからです。ただ、小学校6年生になる手前で、叔父から英検1級の教材テープをもらい、それをウォークマンで聴いていました。

【三宅】いきなり英検1級ですか?

【別所】もちろん内容は理解できません。でも、当時はまるで呪文のような異国の地の言葉を聴いていること自体が心地よかったのです。「秘密基地に行くための言葉を聞いているんだ」という感覚です。

【三宅】そうでしたか。中学ではどんな勉強をされましたか?

【別所】教科書の内容はもちろんこなすのですが、僕の場合、音楽を通して学んだ影響が大きかったですね。これもまたきっかけは祖母でして、小学生のときから祖母にピアノを教わるようになり、少しずつ英語の歌を聴くようになりました。中学に入ると音楽熱はさらに高まり、放送委員になって登下校の時間にビリー・ジョエルの楽曲をかけるようなことをしていたのです。

【三宅】当時からラジオパーソナリティの素養があったのですね(笑)。

【別所】ええ(笑)。好きな歌に出会えたら歌詞の意味を知りたくなるので調べますし、弾き語りをしたくなるので、発音にも意識を向けますよね。いま振り返っても、洋楽との出会いが英語力の土台を作ってくれたと思います。