「恐怖を感じること」にさえ飽きはじめる
新型コロナウイルスどころか、ただのコロナウイルス(風邪)をこじらせて肺炎になって死ぬ人も毎年大勢いる。だが私たちはそんなことで恐れおののいたりしない。「次は自分の番かもしれない」などと泣きわめいたりもしない。また高齢者は毎年、肺炎球菌で大勢が死亡している。肺炎球菌は小児(おそらくは孫)を経由して感染することが多いとされるが、だからといって盆や正月の子や孫の帰省を恐怖したり拒否したりする高齢者はいない。
ホモ・サピエンスは飽き性である。その飽きっぽさはとんでもなく、ウイルスにひとしきり怖がっていると、やがて恐怖を感じることにさえ飽きはじめる。だがそれは順応力の裏返しでもある。「怖がっても無駄だ。もう死ぬのは仕方ない。我々の社会生活に『新しい死のレパートリー』がひとつ加わっただけなのだ」とある日考えを改めて、また日常を取り戻してしまう。これが本当の意味での「ニュー・ノーマル」あるいは「新しい生活様式」の達成である。
恐怖すら飽和させてしまう、信じがたいほどの飽きっぽさは、順応力の高さと表裏一体である。これこそが、ひ弱な霊長類をこの惑星の食物連鎖の頂へと押し上げた最大の要因のひとつにおそらくなったのだろう。
「クラスターフェス」は歴史的必然である
「自粛疲れ」とか「コロナ疲れ」などに基づき、市民社会の各所で散発的に発生しはじめた反動的な変化は、まさしく社会的終息へと動き出した人びとの歴史的必然を感じさせる。
イリノイ州の川で毎年行われている「ホワイト・トラッシュ・バッシュ」のパーティーが今年も開催され、約500人が参加した。ホワイト・トラッシュ・バッシュとは、参加者がホワイト・トラッシュ(白人の低所得者層)のふりをして安酒を飲み、どんちゃん騒ぎを楽しむイベントで、全米各地で行われている。地元当局は地域の新型コロナウイルス感染症の拡大を警告したが、参加者は誰もマスクをつけていなかった。
ニューズウィーク日本版『コロナ感染大国アメリカでマスクなしの密着パーティー、警察も手出しできず』(2020年8月3日)より引用
国民主権党党首の平塚正幸氏(38)が8月9日、東京都渋谷でマスク無着用の「クラスターデモ」を実施。新型コロナウイルス対策への抗議活動で、今回が10回目だという。
ネットでは「クラスターフェス」とも呼ばれ、トレンド入りするほど波紋が広がっている。(中略)
デモ終了後、「ノーマスク・山手線」と題した動画をYouTubeにアップ。「公安委員会の皆さん、今から乗ります!」と宣言し、マスク無着用で仲間たちと車内に乗り込む様子を披露した。
動画は11万回以上再生されているが、6,500件もの低評価を記録(10日18時現在)。平塚氏の行動に、辛辣な声が殺到している。
女性自身『「コロナはただの風邪」平塚正幸 クラスターデモ行い批判殺到』(2020年8月10日より引用)