新型コロナウイルスが終息することはあるのか。それはいつになるのか。文筆家の御田寺圭氏は「『自粛疲れ』や『コロナ疲れ』で、世界中で散発的に発生している反動は歴史的必然であり、私たちはすでに終焉への道を歩いている」という――。
幸せな人々の陽気なグループは、お祝いのパーティーやカーニバルの間に一緒に楽しんでいる世代の女性を混合
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5カ月経てば「不急」も「急」になる

「不要不急の外出を控えて」――そう言われるようになって、はや5カ月近くが経とうとしている。私たちは望む望まないにかかわらず、国や社会からの要求(あるいは無言の圧力)に応じて、「ステイホーム」を実践してきた。

しかしながら、いくら「不急」の外出を忠実に控えていた人であっても、さすがに5カ月も経てば「急」の要件になってしまうだろう。この2週間が正念場、このひと月が山場――そう言ってとうとう今日までずるずると「ステイホーム」を続けてしまった。いつまでこのような生活を続ければよいのだろうかと、内心うんざりしている人も多くなってきているに違いない。

各地ではパンデミックの犠牲者以外にも悲惨なニュースが漏れ聞こえはじめた。主要各国の経済的打撃である。ユーロ圏では4~6月期GDPが年率換算では40.3%の減少となる。アメリカでは4~6月期のGDPは年率換算で32.9%もの減少だ。いずれの数字も、短期間に生じた景気悪化としては前代未聞の規模になっている。

ここから経済を元どおり回復させるまでに、もしかしたらパンデミックを終息させる以上に時間がかかってしまうかもしれない。世界恐慌の訪れを予感させる、きわめて絶望的な見通しである。ちなみに日本の4~6月期のGDP速報値は年率換算で27.8%減と、リーマンショックを超える落ち込みとなった。対岸の火事ではない。

家計が脅かされた人に「自粛しろ」は響かない

近頃の東京都では連日のように多くの感染者が新たに計上されている。すでに都からは飲食店に対して再度の営業時間短縮要請が出されているが、しかしながら今回はこうした流れに対して前回ほど賛同一色の声が聞こえなくなっている。それもそのはずだ。市民の社会生活にも、もはや無視できないレベルで影響が出始めているからだ。

数カ月前までは「大切な人びとの命を守る」というスローガンに呼応して、社会活動の停止に積極的に協力していた人びとであっても、自分の家計にいよいよ中長期的な生存が脅かされるレベルにまで影響が出てきてしまい、政府や自治体が唱える《きれいごと》に素直に賛同できなくなってきている。コロナ関連倒産はすでに都内だけで100件(全国400件)を超え、解雇や雇い止めをされた人は全国で3万人を超えていると見込まれている。

「いつまで経済を犠牲にすれば、このパンデミックを克服できるのか」
「命を守ると言っても、高齢者の命を守って、現役世代の人生を犠牲にしていたら、それでは意味がないではないか」
「自粛なんかしていたらコロナの前に破産して死ぬ」

数カ月前なら「この不届き者が!」と徹底的に社会的糾弾を浴びていたであろう、こうした声もじわじわとボリュームが大きくなりつつある。政府の肝いりで打ち出したGo Toキャンペーンも期待したほど奏功しなかったいま、市民社会の我慢の限界もいよいよ近くなってきている。