「根絶」されずに終わったパンデミック

「パンデミックの終息」――という文字列を目にすると、素人である私たちは、まるで映画や小説のように「特効薬が発明されることで人類が救われる」というエンディングをついつい想像してしまいがちである。しかし現実はそのような「明確なラスボスを倒して大団円」という、わかりやすい結実を用意してくれているとはかぎらない。

これまで人類社会に猛威を振るったペストは、根本的な治療法が確立するわけでもなく、現在に至ってどのように終息したのかはっきりした理由は不明瞭なまま、人びとはそのパンデミックに20世紀まで蹂躙され続けた。インフルエンザもそうである。「スペイン風邪」と通称されるインフルエンザの世界的大流行では、全世界でのべ5000万人もの死者を出したといわれる。

これらの歴史的パンデミックは「医学的終息」を見たわけではない。ワクチンもなければ、根絶方法を発見したわけでもなかった。

その代わり、人びとは自分たちのマインドセットを書き換えることによってパンデミックを終わらせてきた。自分たちの暮らしあるいは人生における「すぐそばにある死のひとつ」のバリエーションとしてつけ加え、考えを改めることで混乱を鎮めてしまったのだ。これがパンデミックのもうひとつの終息――いわば「社会的終息」である。

毎年3000人近くが死亡するインフルエンザ

同じような「社会的終息」は現代社会でもしばしば起きている。

厚生労働省の人口動態統計によれば、この国ではインフルエンザで毎年3000人近くが死亡しているが、人びとはけっしてインフルエンザで大騒ぎなどしない。たとえ新型コロナウイルスよりもはるかに多い死亡者数が毎年出ていてもだ。私たちはインフルエンザが流行する冬――いたって冷静である。せいぜい「ああ、今年もインフルの季節」か、くらいなものである。

インフルエンザウイルスには一応ワクチンはあるが、だからといって「医学的終息(根絶)」を達成しているわけではない。毎年大勢の犠牲者を出している。しかし人びとはそのことになんら恐怖を感じず「身近にある死」として――あるいは「死」とすら感じないほど透明化して――それを受け入れて共生している。私たち人類はいつのまにか、インフルエンザで毎年の冬に慌てふためくのをやめてしまった。インフルエンザを医学的に撃破するよりも先に、人びとが「死生観」をアップデートして精神的に勝利してしまったのだ。

そんな馬鹿げた根性論をどうして――と思われるもしれないが、人びとは実際にこうして多くのウイルスを「克服」してきた。