伊沢に教員激怒「ものを知っているから、お前は偉いのか?」

僕自身もしょっちゅう叱られていました。いまでも忘れられないのは、次の二つのことです。

電車が好きだった1年生のとき。詰め襟の制服はお気に入りだった。暁星小学校は東京都千代田区にある幼・小・中・高一貫男子校。1888年に創立した伝統校だ。

まずは3年生のとき。学校から貸し出されていた歩数計をなくしてしまったことがありました。「やばい、めっちゃ叱られる!」とあせった僕は、朝一番に先生に土下座をしにいきました。そのとき先生は、「それは、ただのパフォーマンスなのでやめなさい。歩数計をなくしたことを謝るのであれば、原因は何だったのか、今後どうするのかをきちんと説明すべきだ」と言われました。たしかにその通りだと反省しました。

もう一つは6年生のとき。そのころ読書や、4年生から通い始めた塾によって知識を広げていた僕は、クラスの中で自他ともに認める物知りな存在でした。社会の授業で先生の投げかけた質問に、僕は頬づえをつきながら手を上げたのです。その瞬間、先生が激怒しました。

「ものを知っているから、お前は偉いのか? 塾に通っているから、人とは違うと思っているのか? そう思っているから、そんな態度に出るんじゃないのか!」

とクラスメートの前で見事に鼻を折られました。このときの経験は、その後の人生に強く影響を与えています。クイズプレーヤーとして活躍するようになっても、「決しておごらないこと」を常に心に留めるようになりました。あのとき本気で叱ってくれた先生には、感謝しています。

先生方のお説教は、優しく説諭するでもなく、暴言で抑えつけたりもしません。大人の言葉遣いで、子供たちを対等な人間として扱い、こちらが理解するまで言葉をつなぐのです。また、子供にとってアウェーである職員室に呼び出すこともありません。子供のホームである教室か、もしくは教科指導室に呼び出し1対1で向き合うのです。おそらく叱り方にもルールがあったのでしょう。

「やるべきことをやる」「正しい行いをする」「恐れずに挑戦する」

振り返ると厳しい学校でしたが、理不尽に感じたことはありません。カトリックの教えに基づいた教育で、先生方は、児童の誰に対してもフェアだったと思います。

私立小学校に通っていたとはいえ、わが家は、決して裕福ではありませんでした。図工の時間、みんなが新品の彫刻刀を使う中で、僕だけが中古品を使っていました。

「みんなと同じでなくてもいい、うちには無駄に使うお金はない」という両親の考えでしたが、僕は中古品が嫌でたまりませんでした。けれど、古い彫刻刀をからかう友達は一人もいなかったのです。他者を認める文化が児童間にもできていましたね。

僕の知る限り、いじめもありませんでした。いじめの芽のようなものがあったら、先生方が徹底的につぶしていたのだと思います。

1学年120人。男子だけで過ごした6年間は、とても楽しい時間でした。クラスメートのほとんどが暁星中学に進学するので、みんなと別れるのはつらかったけれど、開成中学へと進学しました。先日テレビの企画で6年生の頃の、僕を叱ってくれた先生にお会いできたのは感動しました。

自らの小学生時代を振り返って、あらためて思います。「やるべきことをやる」「正しい行いをする」「恐れずに挑戦する」といった、大人になったいまも僕の中にある行動指針は、間違いなく暁星小学校で身に付けたものだと。