「多様性の尊重」という新しい潮流
こうした動きは10年ほど前からあった。
2011年、国際基督教大では、学生がミスコンについて、「多様な人間のあり方が尊重」されなければならないことを理由に反対し、それ以降、開催されていない。当時、「ICUのミスコン企画に反対する会」がこう訴えている。
「私たちは、人種的、身体的、階級的に画一的な女性の美のイメージの強化をもたらし、女性の性的対象化の道具として機能してきた歴史をもつミスコンに、そもそも反対します。ですから私たちは、ICUの外においても、差別的な電車の釣り広告やミスコンに反対します。基本的な人権、および多様な人間のあり方が尊重される社会をめざす私たちは、当然ICUでのミスコン開催にも反対します」(同会のウェブサイト)。
上智大、法政大、国際基督教大で唱えられた、多様性を尊重するという気運は、さまざまな性のあり方が尊重される、たとえば、トランスジェンダーの人たちが快適に生活できる社会づくりを目ざすものだ。人権問題でもある。大学、学生のこうした理念と大学ミスコンはおよそ相容れない、というわけである。
女性差別批判をよそに広がった「大学ミスコン」
大学ミスコンへの風当りの強さは、きのう今日はじまった話ではない。常に批判がついてまわった。大学ミスコンは1970年代後半から各地で広まっているが、当初から女性に対する差別として厳しい批判を受けてきた。
1978年、名古屋大では大学祭で予定されていた「ミス・キャンパスコンテスト」が、女性問題研究会からの抗議を受けて中止となった。同会はこう訴えている。
「出場した女性に賞品を与えることで女性を商品化し、しかもそれが男性にとっての商品、見せ物、人形であることは女性が男性にとっての性的対象物であるという歴史的な男性中心の論理をそのまま受け継ぐものである。」(『週刊朝日』1978年6月23日号)
1987年、東京大駒場祭で「東大生GALコンテスト」では乱闘騒ぎが起きている。東京大学新聞がこう伝えている。
「開会後しばらくして、急に会場内の照明が消され、数ケ所で爆竹が鳴らされ、様々な姿に変装して花火のようなものを手にした学生がつぎつぎと舞台にあがった。主催者側と合わせて約四十人が舞台上で乱闘状態となり、会は中止となった。乱闘の中で、水をかけたりイスを投げた者もあった」(同新聞1987年11月24日)
しかし、大学ミスコンは廃れることはなかった。
1980年代半ばから1990年代にかけて、「女子大生ブーム」が起こり、女子学生がたいそう注目されたことも大きい。一方で、ミスコンに登場したいという女子学生も増えた。その動機には「自分を磨きたい」「キャリアアップとしたい」などがあり、女性差別という批判を打ち消さんばかりの勢いだった。