「教えてくれ」の前に自分で考えよう

【小林】日本では、そもそも根幹の「意味」を考える習慣があまりなかったのかなという気がします。例えば講演会などを開くと、「もっと教えてください」と質問される方がたくさんいます。でも、その前にまず、自分はどう考えるかをけっして言わない。本気で解を見つけたいのかわかりません(笑)。

本当に重要なことは自分で必死に考えるか、もしくはしかるべき相手にじっくりコミットしてもらうしかありません。かんたんに一般則を引き出そうとするけれど、昭和ならいざ知らず、21世紀は特殊解を考え抜く時代です。

撮影=小野田陽一
インフォバーン共同創業者・代表取締役CVOの小林弘人氏

【尾原】以前、ある方と対談させていただいたとき、「日本のアルゴリズムは何か」という話題になって、それは「改善」だろうという話になりました。日本はいきなりイノベーションを起こすことは苦手ですが、少しずつ改善を続けることは得意。むしろ、それ自体を面白がっているところがあります。

なぜそうなってしまったのか。1つ考えられるのは、学校教育の問題。『第三の波』(中央公論新社)で知られる未来学者のアルビン・トフラーによれば、そもそも学校とは工場で働く工員を養成するために作られたとのこと。各家庭で教育されると余計な“色”がつくので、それを消すために通わせたというわけです。

日本の学校は、まさにその方針に忠実だったのかもしれません。だから戦後は工業資本主義の中で奇跡の復興を遂げたわけですが、今ではその戦後体験が逆に足かせになっている気がします。

イノベーションは「出会い」から生まれる

【小林】いつも疑問なのは、日本人はなぜか自ら「日常を楽しんではいけない」という“縛り”をかけたがること。例えば、僕が「今日は天気がいいから、外の石段でコーヒーを飲みながら話そう」と呼びかけても、「気が散る」とか「階段は危ない」とか言い出して乗ってこない(笑)。「石橋を叩いて渡る」どころか、非破壊検査をして、なおかつ渡らない理由を山ほど挙げるという感じです。

尾原和啓『アルゴリズム フェアネス』(KADOKAWA)

あるいは仕事で何かのカンファレンスイベントに参加する際も、タイムテーブルをじっくり見て綿密なスケジュールを組み、律儀にそのとおり回ってくるという感じ。本来、こういうイベントはアルコールを片手に隣の知らない人と話をする場です。ところが、内輪で固まってPCやスマホをいじってばかり。僕は「もっと自由に見て回ってもいいんじゃないですか」「昼間からビールを飲んだっていいじゃないですか」「基調講演はYouTubeで観られるから、知らない人と出会うことが第一ですよ」といつも言うんですけどね(笑)。

【尾原】とにかく人と会うことが大事ですよね。経済学者シュンペーターが定義した「イノベーション」は、もともと「新結合」と和訳されました。つまり、今までの枠組みを取っ払って新しいものと結びつけることだと。イベントに参加することは、その絶好の機会になるはずなんです。

そのとき、より縁遠い人に出会うほど、お互いに「どこから来たのか」を説明する必要があります。何も知らない相手に自分をわかってもらうには、単に国籍や会社名を言うだけではダメ。自分がどのアルゴリズムに乗って成り立っているかをメタに語れるようにならないと。どんなキャリアで、どんな思想や哲学や技術を持ち、何に関心があるのか、といったことです。そうすると、お互いのアルゴリズムの差異や共通点から、自然と話が発展していくんですよね。

例えば、スカイプの創業者であるスウェーデン人のニクラス・ゼントロームとデンマーク人のヤヌス・フリスが出会ったのも、アムステルダムで開かれたフェスだったと言われています。お互いが持っていた技術を組み合わせることで、この画期的なサービスが生まれたわけです。

そこで伺いたいのですが、小林さんはこれまで、海外からメディアやカンファレンスをいろいろ持ち込んで定着させようとしてこられましたよね。ところが日本では、米欧のようなカウンターカルチャーには育たず、アンダーカルチャーやアンダーグラウンドになりがちです。それはなぜでしょう?