もう打つ手はないと分かっている
「奨学金返してる学生は多いですよ。ホストもそうだけど、風俗嬢にも多いんじゃないかな」
人間はそれぞれの事情で、それぞれの場所にいる。コロナをまき散らすな、あれを規制しろ、これを禁止しろと声高に叫んだって疫病を抑え込めるわけもない。
「無自覚なんですよね、罹ったかなんてわかんないし。だから買い物はするし飲み食いもするし電車にも乗る。女とも会います」
結局、セイヤさんはどうすればいいと考えるのか。
「どうにもなんないでしょ、治す薬とかないと。俺たちが考えることじゃないです。ホストクラブに来る子の愚痴聞いてると全体朝礼とかで集まったり、狭いとこで会議とか、何百人も1箇所でテレアポしてるとか、そんなのばっかりですよ。どうにもなんないけど稼ぎたい、みんな本音はそうなんじゃないの?」
乱暴な言い方だが実際そうだろう。かといって日本は経済的自由権を侵害できるような国ではない。アメリカ同様、日本はコロナを抑え込めず、それなりに共存しながら経済活動をするしかない。連日クラスターが発生したとしても。
クラスターでも大して死んでないって、みんな思ってる
「クラスターでも大して死んでないからいいんじゃねって、みんな思ってるっしょ」
それは緊急事態宣言を全面解除し、感染者が増加しても再宣言する気のない国の姿勢にも表れていると言ったら言い過ぎだろうか、仮に緊急事態宣言を再宣言したとして、協力するにも国民のほとんどは経済的に限界だろう。セイヤさんの暴論に同調したくはないが、多くの人の本音かもしれない。コロナが心配なら自粛を続ければいいし、食ってくことを優先するなら働けばいい、遊びたいなら遊ぶ、それぞれがそれぞれを非難するだろうが、これはどうにもならないだろう。歌舞伎町の現状はコロナ後を模索し、混沌のままにある日本と私たちそのものだ。
そして朝、ホストのセイヤさんは学生に戻り、新宿駅方面に消えた。通勤客と通学客のごった返す日常の中に。
セイヤさんも満員電車に乗っている——これもまた、私たちが避けられないコロナとの共生である。