年収450万円が一番楽しかった

元々、年収が今よりずっと低い時期にも不自由なく生活していた。それなのに、一度、生活水準を上げると、食べ物、住むところ、洋服、全ての水準が上がっていくのです。周りが思っているよりも、自分の為に使うお金は意外と増えず、貯金もさほど貯まらない。にもかかわらず、頑張り続けないといけない、スパイラルが一生続く感じがあるようです。

「同級生のみんなは3万円なのに、自分だけは友人の結婚式でも3万円では済まず10万円になってしまう。付き合いの一つひとつの値段が高くなる」(30代・不動産)と話す。こういったスパイラルに入らないためには、「年収が上がっても、生活水準を上げることを抑えることができる人は、いいかもしれないですけどね」(同・50代・金融)と話す。

年収が高くでも、周りが想像しているような満足のいく人生を送っているわけではない人も多いです。むしろ、皆、450万円くらいから1000万円まで駆け上がる“あの時期”を味わえるなら、もう一度味わいたいと漏らす。今回、話を伺った方々は、皆、それなりに人生やお金について、満足していることは大前提として、あえて「現状でお金について感じるストレス」を挙げてもらった。

年収450万円から進んでいく「山登り」

年収450万円であろうが、1000万円を超えようが、取材を通じて感じるのは、年収によって「幸せ」を定義することはやはり、できないのでしょう。むしろ、年収450万円から山を登っていく、まさにその過程自体を幸せと捉えている人が多いと感じます。

何が幸せなのかの「基準」はやはり、自分の中にあればいいのです。現代社会の良さは、価値観が多様化し、その人、その人の基準と価値で生きることができる点だと思います。人と比べて、自分の「幸せ」など決められるはずなどないのです。大切なのは、自分がどういった世界観で幸せを感じることができるか「自分を知ること」で、どこに向かって歩んでいけば良いかを分かっていることが幸せなのかもしれません。自分が心の中でひっそりと味う幸せを持っている人が、落ち着いた幸福感の中でゆったりと生きていたりするのでしょう。

最後に、ここで述べた事例や、価値観の一つひとつも、それぞれの個人の価値観にすぎず、誰にでも当てはまるものではないでしょう。納得できない価値観もあったかもしれません。「大いに、他人に評価されることこそが自分の幸せの基準だ」「幸せの基準は自分の中にある? 絵空事はいい、年収こそ自分の幸せを測る基準だ」「ここに書いていない価値観での幸せもある」などの、いろいろな思いがあるでしょう。まさに、あなたの、その感覚こそが、そのままでいいのです。自分の思うように、感じ、発言し、生きてゆけばいいのです。

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