SARS流行時も「中国の隠蔽」を指摘
田代はかねて、中国に対する強い疑念を持っていたようだ。
2004年に出版した岡田との共著『感染症とたたかう インフルエンザとSARS』のなかで、SARS(重症急性呼吸器症候群)流行に関して、2002年11月から中国広東省を中心に流行していた原因不明の新型肺炎について、当初中国は流行の事実を隠蔽したと指摘。
WHO専門家チームによる調査・支援の受け入れを中国は拒否し、この初動対応の遅れが世界的な感染拡大を招いたと述べている。
田代と中国の因縁の関係。これは岡田にも受け継がれているのだろうか。
一方、岡田晴恵のドイツでの論文は見当たらない
田代が中国の虚偽を告発したドイツ・マールブルク大学は、グリム兄弟が学び、哲学者ハイデガーが教鞭を執るなど、500年の伝統を持つ名門校だ。医学関連の研究も盛んで、免疫血清療法と破傷風血清療法を発見したベーリングも研究活動を行った。彼は1901年に第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞している。
岡田は、同大学のウイルス学研究所に、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団の奨学研究員として留学していた。時期は2000年前後と推定される。
アレクサンダー・フォン・フンボルト財団はドイツのノーベル財団といわれるほど権威ある団体である。関連する「日本フンボルト協会」ホームページによれば、この財団を通して世界中から毎年2000名以上の研究者がドイツでの在外研究に携わり、うち48名のノーベル賞受賞者を輩出しているという。
奨学研究員になれば、若手研究者であれば奨学金として月額2650ユーロ(6カ月から24カ月)、中堅研究者であれば月額3150ユーロ(6カ月から18カ月)が給付されるとある。その奨学生に選ばれるのは決して簡単なことではないだろう。ちなみに、田代も同じ奨学研究員として1984年にギーセン大学に留学している。ギーセンはマールブルクの隣町だ。
奨学研究員として選ばれた岡田は、ドイツで一体何の研究を行っていたのか。残念ながら、留学時に発表した論文は見つけることができなかった。彼女の留学時代を知る人物は「正義感あふれる人」と評している。自分の損得は顧みずに、正しい行いを追求する信念の強さがあったという。
(文中敬称略)