奈良の東大寺の大仏は「感染症対策」でつくられた

【池上】奈良の東大寺の大仏が疫病対策でつくられたことくらいしか知りません。

【増田】聖武天皇は七四三年、国内の不穏な状況を仏教の力に頼って鎮めようとします。「鎮護国家」という言い方を教科書ではしていますね。精神復興のために大仏をつくることを決め、大仏造立の詔を出します。またそれに先だって七四一年には、国分寺、国分尼寺建立の詔が出されています。

【池上】だから東京にも国分寺という地名があるわけだよね。

【増田】当時から残っているということですよね。全国にある国分寺や国分尼寺が、その際に国ごとにつくられたわけですから。

【池上】それほど当時は全国的にひどい状況だったわけですね。

【増田】聖武天皇が即位したのは七二四年。この頃、旱魃や飢饉が続き、七三四年には大きな地震が起こり、被害も甚大でした。そんな状況が続く中で疫病が広がったわけです。

【池上】被害ももちろん大変だったでしょうけれど、それだけ立て続けにいろいろなことが起これば、社会に不安が蔓延します。その疫病が……。

【増田】天然痘だと言われています。

政治の中枢にいた人物も相次いで死亡

【池上】その当時だと、遣唐使や遣新羅使が行き来していますね。

【増田】彼らの行き来で感染症も持ち込まれたのではないかと言われています。全国で計算すると、一〇〇万人から一五〇万人の方が亡くなったようです。さらにこの疫病によって、政治の中枢にいた藤原武智麻呂房前宇合麻呂の四兄弟も相次いで亡くなります。彼らは聖武天皇の妻である光明皇后の異母きょうだいです。当時は、藤原氏が政治の実権を握ろうと他の勢力と競い合っていた時代なんです。七二九年には、長屋王という皇族が、藤原四兄弟の陰謀で朝廷から謀叛の疑いをかけられ自殺しています。

【池上】権力争いが続く中で疫病のため、藤原四兄弟は亡くなってしまったと。

【増田】そうなんです。その後、七四〇年には、藤原広嗣が大宰府で朝廷に反旗を翻し挙兵しますが、鎮圧されています。社会はもちろん、政治も不安定化していて、混乱した時代だったと思うんです。

【池上】まさに感染症の流行が政治や社会に大きな影響を与えたわけですね。