経済の立て直しとして墾田永年私財法がつくられた
【増田】そうなんです。飢饉や地震、そして疫病もあった。そういったことが、当時の律令政権が自分たちで国の歴史をまとめた六国史には書いてあるんですね。その中の八世紀末にまとめられた『続日本紀』には、この時代のことが書いてあって、何か悪い出来事があるとその度に元号を変えて、都も転々としていたことがわかります。
【池上】混乱した状況から日常を取り戻すには、日々の生活を立て直していく必要があります。
【増田】聖武天皇による東大寺の大仏造立には、こうした社会の不安を取り除き、人々の気分を安定させようといった狙いがありました。つくり始められるのは、七四五年です。奈良の大仏や全国の国分寺、国分尼寺は、災難を仏教の力で消滅させ、国家を守る「鎮護国家」という思想から生まれたものでした。
【増田】経済状況もたいへんになっていますし、大仏や寺をつくるにしても莫大な費用がかかります。そこで聖武天皇は、経済対策を考えます。復興政策としてつくられたのが、墾田永年私財法です。
【池上】懐かしいー。
【増田】習ったなあ、聞いたことあるーって感じですよね(笑)。それ以前の口分田は、六歳になると男女が土地を与えられ、その与えられた土地から税金を計算されて徴収され、亡くなると国へ返すという決まりでした。しかし飢饉や疫病の影響で人が少なくなると、耕地が荒れてしまいます。
【池上】たくさんの方が亡くなっているから、農地を耕す人も減るに決まっています。
【増田】それで、自分たちがそれぞれ耕した土地は私有を許可するということにこの法律で定めたんです。
【池上】まさに感染症が社会制度を変えざるを得ない状況にしたわけですよね。
農地をお金持ちに売る人も現れた
【増田】農耕地が増えれば生産性も上がって、徴税も増えますからね。その結果、どういうことが起こったかというと、多くの人が土地を一所懸命耕します。するといい耕地もできてくるようになります。
【池上】戦後の日本の農地改革も同じです。GHQ(連合国軍総司令部)の指令によって、地主が抱えていた土地を解放させ、小作農たちが農地を手に入れます。その結果、農業生産性が爆発的に上がるんです。米の生産性も上がり、農家は潤うようになり、餓死者がいなくなります。やっぱり人間って、自分の利益になるとわかれば、がんばろうと思って、やっていけるんですよね。
【増田】農耕地が増えて生産性が上がれば、当然、税も払わなくてはいけませんから、税を納めるより、開墾した農地をお金をたくさん持っている人へ売るという人たちも出てくるわけです。すると、お金持ちが生産性の高い耕地を買うようになります。当時は、高級官僚の所有する田畑や寺社の農地も無税だったんですよ。
【池上】今も昔も役人と宗教法人は優遇されていると。