【池上】占いがこれだけ広がっているという事実は、やはり人間には不安があって、何かにすがりたいことの表われでしょう。自分はこれからどうしたらいいのだろうと思うとき、恐らく多くの人が「信じられないよね」と思いながらも、思わず占いにすがる。占いをすることで何か少しでもいいことがあれば、それを生き方に生かせないかという思いがある。そういった心の弱さというものがあるからこそ、占いはずっと続いているのかな、と思うわけです。
ネコが目の前を横切ると唾を吐いたロシア共産党幹部
【佐藤】ソ連時代、まだソ連の崩壊など見えていない頃ですが、ロシア人でインテリの共産党幹部と一緒に道を歩いていました。道の前をネコが横切ると、私の横にいた彼が後ろを向き、ペッペッと唾を二回、吐くのです。「どうしたの」と訊いたら、「ネコが目の前を歩いていった。こんな不吉なことはないじゃないか」と答えました。「それは迷信じゃない?」と言うと、「いや、迷信じゃない。ネコが前を通ったのを放置してひどい目に遭った奴が何人もいる、唾を吐くのは慣習だ」と説明していました。
こういう迷信的なもの、占い的なものは、やはりわれわれの中に染み付いているということです。心は非常に複雑な問題です。
飛躍しますが、その心の問題に直面する機会は、やはり死にあると思います。われわれは死を回避できない。だから死に気づいてしまうと、やはり占いに関心が出てくるのです。ソ連時代、モスクワのお墓に行くと、共産主義者の墓には日本の卒塔婆にあたるものとして赤い星が付いていました。
【池上】卒塔婆のようなものですか。
無神論を標榜したソビエトで教会がにぎわっていた理由
【佐藤】そうです。ただし、赤い星は夫だけで、妻のほうには十字架が付いている墓がかなり多いのです。夫は共産主義者として生涯をまっとうするけれど、妻は年金年齢に入ったところで教会に通い始める。
教会に行くと、「戦闘的無神論者同盟」と昔は言った「ズナーニエ(知識)協会」の活動家がいました。復活祭やクリスマスになると、「ズナーニエ協会」やコムソモール(共産主義青年同盟)の活動家が教会の前を取り囲んでいて同志的な説得をするので、年金受給年齢に達していない人は教会に入れません。ところが60歳を超えるとみなフリーパスで入れるので、教会は老人でいっぱいの状況でした。
ソビエト政権はあれだけ無神論を掲げていたにもかかわらず、生産年齢を過ぎた人たちに安楽に死んでもらうために、教会の機能は必要だと考えていたのでしょう。「宗教の効用」という、功利主義的な観点から残していたのです。その残していた教会が、ソ連を崩壊させるときには一つの拠り所になってしまった。ですから宗教が死に絶えないという感覚は、私には皮膚感覚としてあります。
【池上】AIに関する議論でも、1960年代のソ連と東ドイツでは、人工頭脳の話がサイバネティックスという形で盛んにされていました。