感染者の謝罪は社会人として当然の行為なのか?

新型コロナに限らず、これまでも、カゼや発熱などで仕事を休んだときに「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と職場の同僚や上司に謝っていた人も少なくないのではなかろうか。

確かに「自分さえ休まなければ、業務も滞りなく進捗したはずであるし、他の人の負担も増えなかったはずである。自分の行うはずだった仕事を肩代わりしてくれた人に申し訳ない」という気持ちは、自然なものかもしれない。

しかし実際の職場では、そのような自発的な謝罪ばかりとは限らない。過去に休んだ際、同僚や上司に嫌みを言われたり、自己管理の不徹底を非難された経験を持つ人なら、謝らずには許されない状況に追い詰められているだろうし、またそのような空気が充満している職場では、「謝罪」は社会人として当然の行為として認識されていることだろう。

では、逆の立場となった場合はどうか。つまりあなたの同僚や部下が体調を崩して休んだ場合、あなたは、その休んだ人に謝罪を求めたくなるだろうか。休んだのが上司であった場合は、どうか。休んだ上司に対して、「あなたが休むものだから、企画を中止せざるを得なくなったじゃありませんか」と責めるだろうか。休んだ人から「迷惑かけてすまなかった」との一言がないと、不愉快な気持ちになるだろうか。

感情論はさまざまあるだろうからさて置き、ここでは医療社会学的に考察してみることにしたい。

病気の人が期待されている役割とは何か

「役割期待」という言葉を耳にされたことはあるだろうか。

「役割期待」とは、「役割」つまり「ある地位について、その地位にふさわしい振る舞い」を、その人がその役割通りに振る舞うことを他者が期待することを言う。

例えば、学校の教師には「生徒にわかりやすい授業を行う役割」が期待されている。一方、生徒には「教師の行う授業を妨害しないで静聴する役割」が期待されていると言える。私たち医師は、患者さんに「丁寧な問診と診察、わかりやすい説明のもとに治療を行う役割」が期待されていると言えるだろう。

では患者さんの役割、すなわち「病人役割」とはいかなるものだろうか。さらに、病人の役割だけでなく、病人を取り巻く人々には、いかなる役割が期待されているのだろうか。

病人には「できるだけ早く病気の状態から回復すること」が期待されており、またそれを達成するために「医師に援助を求め、その指示に従うこと」が期待されている。

一方、病人を取り巻く人々には「病人が病気になる前の役割期待通りに振る舞うことができなくとも問題視しないこと」が期待され、さらに「病人が病気の状態にあることについて、当該病人に責任を負わせないこと」が期待されている。

つまり、病人は、なるべく早く回復するように、体力を温存してゆっくり休むことがその役割として期待されているのであるから、「休む」という行為こそが病人にふさわしい振る舞いなのであって、仕事に穴を開けないようにと、病をおして無理に出勤することは、病人にふさわしい振る舞いとは見なされ得ないのだ。