融通の利かない法律を補完する「公平と正義」とは
3 フェアユースの由来
アメリカが最初に明文化したフェアユース規定は、英国の「エクイティ(衡平法)の法理」に由来している。中世の英国では、コモンロー(慣習法)の通常の裁判所では正義が得られないと考えると、その救済を求める請願を国王に提出した。大法官はコモンローでは救済できなくても、正義と衡平の見地からは救済に値すると判断した場合には救済した。
この救済が積み重なってエクイティ(衡平法)と呼ばれる法体系が生まれた。公平と正義の観点を取り入れることでコモンローの不備を補ったわけである。エクイティ(衡平法)の適用例として、シェイクスピアの戯曲「ヴェニスの商人」が紹介されることがある。フィクションだが、分かりやすい例なので、以下、筆者なりに要約する。
判例を機械的に適用しても現代に合わない
現代社会でも法律がますます複雑精緻化しているだけに、法律をそのまま適用すると公正と正義の観点からは、疑問視される結論が導かれるケースは当然出てくる。フェアユースのようなエクイティ(衡平法)の法理の存在意義は失われていない。
音楽教室事件も法律をそのまま適用すると、公正と正義の観点からは、疑問視される結論が導かれるケースに当てはまりそうである。図表1の過去の事件では、事業者は使用料を支払わずに事業を運営していたのに対し、音楽教室はレッスン用の教材や発表会での演奏には使用料を払っている。しかも、カラオケ関連の事件は娯楽目的であるのに対し、音楽教室は教育目的である。
音楽教室事業者はこの点も主張したが、よりどころにしたのはここでも権利濫用だったため、予想通り却下された。
以上、地裁は過去の判例が今の時代に合っているのかどうかを検討することなく、古い判決を機械的に適用して音楽教室事業者の主張を退けた。音楽教室事業者がただちに控訴したため、争いの場は知財高裁に移ることになる。
ただ、楽観を許さないのは、上記1.1のとおり、音楽教室事業者が著作物の利用主体であるとした判断が依拠したクラブキャッツアイ判決が最高裁判決なので、下級審はその判例を無視できないこと。ロクラクII事件で、知財高裁は、利用主体はユーザー(本件でいえば音楽教室の生徒)であるとして、サービス事業者(本件でいえば音楽教室事業者)の侵害責任を否認したが、最高裁は、利用主体は事業者であるとしてこれを覆した。
司法による解決が予断を許さないとなると、立法による解決に期待がかかる。その意味では立法関係者にも責任がある。日本版フェアユースについてこれまで2度にわたって検討したにもかかわらず、いまだに道半ばだからである。
アメリカではITベンチャーの躍進に貢献している
4.1 米国型フェアユースとはどう違うのか?
図表2は知的財産戦略本部次世代知財システム検討委員会報告書(2016年4月)からの抜粋である。米国型フェアユースが総合考慮型の権利制限の包括規定を設けるのに対して、日本版フェアユースは、権利制限規定の最後に「以上の規定に掲げる行為のほか、やむを得ないと認められる場合」という受け皿規定を設ける方法である。
アメリカではフェアユースは「ベンチャー企業の資本金」とよばれるように、グーグルをはじめとしたIT企業の躍進に貢献した。このため、今世紀に入ってから導入する国が急増。日本でもイノベーション促進の観点から、2度にわたって検討されたが、2度目の検討結果を反映した2018年の改正後の30条の4でようやく図表2のいちばん右の著作物の「表現を享受しない利用」が認められた。