音楽教室の生徒は“公衆”なのか?
1.2 生徒は公衆にあたるか?
「公衆」の定義について、著作権法2条5項は「特定かつ多数の者を含む」と定めているので、22条にもとづき演奏権について著作権者の権利が及ばないのは、演奏の対象が「特定かつ少数の者」の場合ということになる。
JASRACは、「2004年の社交ダンス教室事件名古屋高裁判決は『誰でも受講者になれるため、特定かつ多数に対するもの、すなわち、公衆に対するものと評価するのが相当である』と判示しているが、同判決に示された考え方を本件にあてはめると、原告らのサービスを受ける生徒は不特定かつ多数のものであるということができる」と主張、地裁もこれを認めた。
1.3 音楽教室における演奏が聞かせることを目的とするものであるか?
音楽教室事業者は、カラオケボックスでの一人カラオケも聞くための演奏であるとした2009年のカラオケボックス・ビッグエコー事件東京高裁判決を例に、音楽教室のレッスンでは生徒は教師に対して演奏するので、生徒自身が聞く立場にないと主張した。これに対して地裁は、生徒はカラオケボックスの客と違わないと退けた。
以上、22条をめぐる解釈の結論として、音楽教室における演奏は、「公衆に直接、聞かせることを目的」としているとした。
「音楽文化が発展しなくなるかもしれない」
2 使用料徴収は文化の発展に寄与するのか?
第22条とともに争点となったのは、著作権法の目的を定めた第1条の解釈だった。音楽教室事業者は、使用料を徴収されるという萎縮効果からJASRAC管理曲を使用しなくなり、文化の発展に寄与するという著作権法1条の目的に反することになると主張していた。
これに対し、JASRACは著作権者にお金を回すことが、創造のサイクルをつくり、音楽文化の発展につながると反論するが、JASRACから使用料を受け取ることによって、「創造のサイクル」の恩恵を受けるはずの坂本龍一氏ら著名なミュージシャンたちも、未来の音楽文化を担う子どもたちからの使用料徴収には反対した。
著作権法の権威である中山信弘東京大学名誉教授も「木の枝を刈り込みすぎて幹を殺してはならない。音楽教室に対して必要以上に権利を主張すれば、音楽文化が発展しなくなるかもしれない」と話している(詳細は拙著『音楽はどこへ消えたか? 2019著作権法改正で見えたJASRACと音楽教室問題』参照)。
こうした著作権法の目的にも関わる重要な主張として、音楽教室事業者はJASRACの権利濫用を挙げた。権利濫用は、裁判所はめったに認めないので、そうした法理に頼らざるを得ない点で音楽教室に同情を禁じ得ないが、ここで効果的な対応として期待されるのが、前述したフェアユース(公正利用)の法理である。