談笑が終わり、普段なら来客を1階のエントランスまで見送る鈴木修だが、エレベーターの前で瀬戸を送る。
鈴木修はすぐに社長室に戻り、カーテンを少しだけ開き、「アサヒの社長はどんな車に乗っているのだろう」と、こっそりと観察したのだ。
するとどうだろう、瀬戸は本当にワゴンRに乗って帰っていくではないか。
ワゴンRに瀬戸社長が乗っているというプレゼンに、鈴木修は完全に1本とられた。ハート・ツー・ハートの世界へと、カンピュータ回路が高速で動き出す。
デスクの引き出しをあけて便せんとペンをとると、すぐに手紙をしたためる。手紙は「守衛が『瀬戸社長はワゴンRに乗ってました』と私に注進してくれまして」と、一部“作文”したが、来訪のお礼と、ワゴンRを利用してくれていることに感謝の念を存分に滲ませた。
この一件以降、鈴木修は「スーパードライ」以外のビールを飲むのをやめ、スズキの施設で出すビールもアサヒに変えた。さらに販売店大会など外部行事で供するビールもすべてスーパードライに統一。ホテルがアサヒを扱っていなければ、特別に取り寄せた。ここまでやる理由は、すごくシンプルだ。鈴木修は言う。
「日本のビール会社は、みな大手企業ばかり。でも、浜松のウチまで足を運んでくれたのは瀬戸さんだけだから」
アサヒ社内では、いまも「守衛さんまで我々を見ている。営業は客先を出るまで細心の注意を払わなければならない」というのが教訓になっている。だが、このプレゼンが成功した本質は違う。
ひとつは、瀬戸が鈴木修がいる浜松まで売り込みにいったということ。そして何より、アサヒ浜松支店、すなわち営業現場が瀬戸をワゴンRに乗せるという基本的な提案をした点だった。
相手が大物であるほど、プレゼンは基本に忠実でなければならない。