アサヒビール社長が直々にプレゼン

そんな鈴木修を唸らせるプレゼンとは、どんなものなのか。

1997年の秋だった。当時のアサヒビール社長、瀬戸雄三(現・相談役)は浜松のスズキ本社を訪ね、鈴木修と接見。もちろん、ビールの売り込みのためである。ちなみに、鈴木修と瀬戸は同年齢だ。

浜松駅に降り立った瀬戸は、アサヒ浜松支店長から言われた。「今日は、ちょっと変わった車に乗っていただきます」。瀬戸を乗せた“変わった車”は、スズキ本社の正門を入り駐車場に止まる。守衛に教えられ、瀬戸らは正門の正面にある3階建ての茶色いビルに入る。

通された小学校の教室ほどの部屋で待っていると、やがて勢いよく扉が開き、

「オウ、イラッシャイ。私が鈴木修です」と、作業服と白いワイシャツの袖をまくった、まゆ毛の長い男が1人で現れた。

瀬戸は立ち上がり、深々と頭を下げ、名刺を交換すると、すかさず言った。

「本日は、ワゴンRでまいりました」

すると、鈴木修は、「ホーウ、そうですか」と、よく通る声で笑顔を返す。

だが、鈴木修は内心思っていた。

「天下のアサヒビールの社長が、ワゴンRには乗らんだろう。ベンツかクラウンで来たに決まってる。調子のいいこと言いやがって、この社長はとんだタヌキだ」

2人は談笑を続け、瀬戸は「スズキさんの宴会施設でも、ぜひ当社のスーパードライをご愛飲いただけるよう、お願いいたします」と再び深々と頭を下げた。

すると鈴木修は、「イヤー、ハハハ」と、大声を出しながら体をのけぞってみせ、瀬戸の依頼をいなしていく。

瀬戸はブランド力の弱かった時代からどぶ板を回ってアサヒビールを売りまくり、営業の総大将から社長に上りつめた人物である。鈴木修も、トヨタ、日産を向こうに回し、軽自動車を全国に売り歩き、車種別でナンバーワンブランドを築いた自動車産業を代表する営業マンだ。