サブ・プライムローンの影響で経営環境が悪化している北米市場。トヨタ自動車にとって重要戦略地域である北米の需要見通しを決める会議で、営業担当者はいつものように、車種ごとにグレードや排気量などで細かく分けて販売状況を調査し、綿密な数字を積み上げたデータをベースに報告しようとした。

それに対し、渡辺捷昭社長は次のように指示を出したという。

「細かいデータも結構だが、米国市場に投入している全モデルの車種について、それぞれ○、△、×で評価しなさい」

渡辺社長はその理由をこう語る。

「(2008年の米国市場規模は)当然○、△印が多ければ1600万台を維持できるだろうし、逆に×印のほうが多ければ1500万台を割ることも視野に入れなければならないと判断できる。潮目が大きく変わる波乱のときこそ、一目瞭然で示すほうが結果的に役に立つのです」

<strong>トヨタ自動車 渡辺捷昭社長</strong><br>1942年、三重県生まれ。64年慶應義塾大学経済学部卒業後、同年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。人事部、総務部、購買部などを経て、97年常務、99年専務、2001年副社長。05年6月より現職。
トヨタ自動車 渡辺捷昭社長
1942年、三重県生まれ。64年慶應義塾大学経済学部卒業後、同年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。人事部、総務部、購買部などを経て、97年常務、99年専務、2001年副社長。05年6月より現職。

トヨタにおいては、こうしたプレゼンテーションの明快さがすべての分野で要求される。例えば技術部門の開発担当者が、自分がいいと思った技術や新車の企画などをプレゼンする場合、レポートをA4判の紙1枚で作ることを要求される。「紙一枚主義」と呼ばれ、トヨタ伝統のプレゼン手法となっている。

今年5月に行われた決算発表の場においても「社内の意識は甘い。昔は1枚の紙に起承転結をまとめたものだが、今は何でもパワーポイント。枚数も多いし、カラーコピーも多用してムダだ」と発言して話題になったが、渡辺社長は資料の作成時間や紙の無駄を極力省く「紙一枚主義」を貫け、という。

「トヨタにおけるプレゼンとは、豊田佐吉翁の遺訓である『豊田綱領』が基本となっています」と、トヨタ幹部はいう。

「『豊田綱領』の中に『産業報国』という言葉がありますが、産業をもって国、社会、人類、地球に報いるといった気持ちが社員のDNAに刻みこまれているのです。こうした原則に則らない提案はトヨタでは受け入れられません。さらにこうした前提の仕事の中で生まれた“カン”や“コツ”といった『暗黙知』を数値化し、A41枚の提案書に盛り込んでいきます。

ただし、書類に写真をつけることはあります。写真1枚で提案の理解度は深まる。トヨタには『現地・現物』という文化があり、何に対しても『実際に見たのか』『行ってみたか』と問いかけます。ウラ取りができていない提案はトヨタでは一切通用しません。プレゼンをする側も受ける側も『現地・現物』が前提にあるから仕事にブレが生じない」

また、渡辺社長はよく部下のプレゼンに対して「自分が社長になったつもりで提案しろ」と強調するという。

「よく、技術のことは技術担当が、マーケのことはマーケ担当が説明するというプレゼンがありますが、これはダメ。担当の人間がすべての分野を勉強し、答えなくてはならない。もちろん、部署間や上司部下の利害調整が大変なことはわかりますが、その調整もすべて担当が行う。トヨタでは経営者の視点で働くことが求められているのです」(前出・幹部)

一方で、渡辺社長はプレゼンの名手である。渡辺社長はもともと技術畑とは縁が薄い。しかし、同業他社が「技術の選択が的確でタイムリー」(ホンダ幹部)と舌を巻く判断力を示すことができるのは、社員の提案に「明快さ」を徹底させていることも大きいと思われる。